賤ヶ岳の七本槍は、1583年に羽柴秀吉と柴田勝家が近江で争った賤ヶ岳の戦いで、秀吉方として目覚ましい槍働きを見せた七人の武将です。福島正則・加藤清正・加藤嘉明・脇坂安治・平野長泰・糟屋武則・片桐且元が数えられ、正則に5000石、ほかの六人に3000石が与えられたとされます。ただし石川兵助と桜井佐吉を加えた九人が賞されたとする記録もあり、「七本槍」の名は譜代の家臣に乏しい秀吉が子飼いの手柄を宣伝したものとする見方もあります。
A.七本槍に数えられるのは七人ですが、九人が賞されたとする記録もあります。福島正則・加藤清正・加藤嘉明・脇坂安治・平野長泰・糟屋武則・片桐且元に、石川兵助と桜井佐吉を加えた九人です。「七本槍」の名は、譜代の家臣に乏しい秀吉が子飼いの手柄を宣伝したものとする見方もあります。
A.福島正則です。1583年の賤ヶ岳の戦いでは一番槍の働きで柴田方の拝郷家嘉を討ち取り、七本槍のなかで最も多い5000石を与えられました。加藤清正や片桐且元など、ほかの六人には3000石が与えられたとされます。
A.七人の動きは分かれました。福島正則は東軍の先鋒を務め、加藤清正は九州で東軍として戦い、加藤嘉明も東軍に付きました。一方、脇坂安治は西軍として布陣しながら東軍へ寝返り、糟屋武則は西軍に付いたとされ、戦いの後に所領を失いました。
A.血縁はありません。二人は同じ七本槍に数えられ姓も同じですが、加藤清正は尾張中村、通称を孫六という加藤嘉明は三河の生まれです。のちに清正は肥後で熊本城を築き、嘉明は伊予で松山城を築き始めました。
A.七人ゆかりの城や領地は、広島県・熊本県・愛媛県・兵庫県・奈良県の5県にあります。福島正則の広島城、加藤清正の熊本城、加藤嘉明の松山城、脇坂安治の洲本城、糟屋武則の加古川城跡、平野長泰の田原本、片桐且元の竜田です。直線距離では、最も近い田原本と竜田が約9km、最も離れた熊本城と奈良県の二か所が約510kmです。