脇坂安治

(わきざかやすはる)
📍 近畿兵庫県 洲本市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

脇坂安治は近江の出身で、羽柴秀吉に仕えて賤ヶ岳の戦いで七本槍の一人に数えられた武将です。1585年に淡路の洲本城主となり、水軍を率いて朝鮮出兵にも加わりました。関ヶ原の戦いでは西軍から東軍へ転じて所領を守り、1609年に伊予の大洲へ移ります。脇坂家はのちに播磨の龍野藩主となり、明治維新まで家を伝えました。

【歴史】

脇坂安治は1554年に近江で生まれ、羽柴秀吉に仕えました。1583年の賤ヶ岳の戦いで七本槍の一人として3000石を得たのち、1585年に淡路の洲本城主となります。1600年の関ヶ原の戦いでは西軍として布陣しながら、小早川秀秋に続いて東軍へ寝返り、大谷吉継の隊を攻めました。この働きで所領を保ち、1609年には伊予の大洲で5万石余を与えられて移りました。

【特徴】

安治は陸の戦いだけでなく、淡路の水軍を率いる船手の将としても重んじられました。文禄の役の1592年には閑山島の沖で朝鮮水軍の李舜臣と戦って大敗を喫しましたが、その後も水軍の一翼を担い続けます。若いころ、丹波の赤井直正から勇気をたたえて贈られた貂の皮を槍の鞘にしたと伝わり、脇坂家の行列ではこの槍が先頭を進んだといいます。ただし、この話は後世の創作とみる説もあります。

【見どころ】

安治が二十年余り城主を務めた洲本城は、兵庫県洲本市にある標高約133メートルの三熊山に築かれた山城です。山上には安治の時代に整えられたとされる高い石垣が連なり、斜面を下る登り石垣も残ります。天守台に建つ模擬天守は昭和の初めに建てられたもので、日本で最も古い模擬天守とされます。山上からは洲本の町並みと大阪湾を一望できます。

【トリビア】

脇坂安治は1609年に伊予の大洲へ移り、大洲城の天守などの主な建物はこの時代に整えられたとされます。2004年に木造で復元された大洲城の天守は、その姿を今に伝えるものです。脇坂家はその後、信濃の飯田を経て1672年に播磨の龍野へ移り、龍野藩主として明治維新まで続きました。淡路から伊予、信濃、播磨へと、一族の歩みは各地に足跡を残しています。

📅 最終更新: 2026/10/8
脇坂安治
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です