三管領

三管領

三管領は、将軍を補佐して幕府の政務を取りまとめる管領の職に就いた斯波氏・細川氏・畠山氏の三家を指す呼び名です。いずれも足利氏の一門で、管領はこの三家から交代で任じられました。畠山基国が畠山氏から初めて管領となったころにこの呼び名が定着したとされ、細川氏では嫡流の京兆家が代々その職を務めました。15世紀半ばには斯波氏と畠山氏の家督争いが、応仁の乱の火種のひとつになりました。

日本名数>三管領
斯波氏
🏯 歴史
📍 愛知県 清須市

斯波氏

(しばし)

斯波氏は、足利氏の一門で、越前・尾張・遠江の守護を兼ねた有力な家です。足利尾張家とも呼ばれ、斯波義将が若くして幕府の執事となり、のちに管領として長く政務を支えました。当主が代々兵衛府の官に任じられたことから武衛家と呼ばれましたが、15世紀半ばの家督争いが応仁の乱の一因となり、領国の実権はやがて朝倉氏や織田氏に移っていきました。

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細川氏
🏯 歴史
📍 京都府 京都市右京区

細川氏

(ほそかわし)

三河国の細川郷に起こった細川氏は、南北朝の動乱で一族が四国や畿内の守護を得て勢力を広げた足利一門の家です。細川頼之が管領として三代将軍足利義満を支え、その嫡流の京兆家は摂津や丹波などの守護を兼ねて代々管領を務めました。応仁の乱では細川勝元が東軍を率い、子の政元の代には将軍を替えるほどの力を握っています。

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畠山氏
🏯 歴史
📍 京都府 京都市上京区

畠山氏

(はたけやまし)

河内・紀伊・越中などの守護を務めた畠山氏は、基国が一族で初めて管領となり、子の満家も管領として幕政を支えた家です。15世紀半ばには畠山持国の後継をめぐって義就と政長が争い、1467年に京都の上御霊神社で起きた両者の合戦が、応仁の乱の始まりとされています。分家は能登の守護となり、七尾城を本拠としました。

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❓ 三管領のよくある質問

Q.三管領の斯波氏・細川氏・畠山氏に共通するのは何ですか?

A.三家とも足利氏の一門で、将軍を補佐する管領の職に交代で任じられた家です。三管領という呼び名は、畠山基国が畠山氏から初めて管領となったころに定着したとされます。細川氏では嫡流の京兆家が代々その職を務めました。

Q.三管領の武衛家・京兆家・金吾家という呼び名の由来は何ですか?

A.当主が代々任じられた官職の唐名に由来します。斯波氏は兵衛府の長官や次官に任じられたことから武衛家、細川氏の嫡流は右京大夫に任じられたことから京兆家と呼ばれました。畠山氏の嫡流は衛門督に任じられたことから、金吾家とも呼ばれました。

Q.三管領の家は応仁の乱にどう関わりましたか?

A.斯波氏と畠山氏の家督争いが応仁の乱の火種のひとつになり、細川氏の細川勝元は東軍を率いました。1467年の正月、畠山政長と畠山義就が京都の上御霊神社で戦った御霊合戦が乱の発端とされます。政長は東軍、義就は西軍に属し、乱が終わったあとも河内で戦いが続きました。

Q.三管領のなかで家格が最も高いとされたのはどの家ですか?

A.斯波氏です。斯波氏は三管領のなかでも家格が最も高いとされ、三管領の筆頭とされました。一方で、細川氏は斯波氏や畠山氏が家督争いで力を落としていくなかで一族の結束を保ち、三管領のなかで最も長く幕政の中心にありました。

Q.三管領ゆかりの地はどこで訪ねられますか?

A.斯波氏ゆかりの愛知県清須市の清洲城、細川氏ゆかりの京都市右京区の龍安寺、畠山氏ゆかりの京都市上京区の上御霊神社があります。龍安寺は細川勝元が開いた京兆家の菩提寺で、上御霊神社には応仁の乱勃発地の石碑が立ちます。龍安寺と上御霊神社は直線距離で約4km離れています。

📍 所在地マップ

愛知県岐阜県京都府三重県滋賀県静岡県大阪府長野県奈良県福井県兵庫県132斯波氏細川氏畠山氏50 km地図データ: Natural Earth
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