平野長泰

(ひらのながやす)
📍 近畿奈良県 田原本町🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

平野長泰は羽柴秀吉に仕え、1583年の賤ヶ岳の戦いで七本槍の一人に数えられた武将です。のちに大和の田原本などで5000石を与えられ、関ヶ原の戦いの後も徳川家の旗本として所領を保ちました。七本槍のなかで生涯大名にならなかったのは長泰ただ一人ですが、子孫は田原本に陣屋を構えて治め続け、幕末の1868年に大名へ列しました。

【歴史】

平野長泰は1559年に生まれ、若くして羽柴秀吉に仕えました。通称は権平といいます。1583年の賤ヶ岳の戦いで先駆けて槍を振るい、七本槍の一人として3000石を与えられました。その後、大和国十市郡の田原本などで5000石を領し、関ヶ原の戦いの後は徳川家康に従って所領を守ります。江戸幕府のもとでは大名ではなく旗本として仕え、1628年に世を去りました。

【特徴】

平野長泰は、七本槍のなかで生涯を通じて大名にならなかったただ一人の人物です。ほかの六人がいずれも1万石を超える大名へ出世したのに対し、長泰は5000石の旗本にとどまりました。それでも豊臣家への恩を忘れず、大坂の陣の際には秀頼のもとへ駆けつけたいと徳川家康に願い出て許されず、江戸の留守を命じられたという逸話が伝わります。義理堅い人柄をしのばせる話です。

【見どころ】

平野家が陣屋を構えた田原本は、奈良盆地のほぼ中央、磯城郡田原本町の中心部にあたり、陣屋の跡は今の町役場の付近とされます。寺内町として開けたとされる町は、江戸時代には大和を南北に貫く中街道沿いの在郷町としてにぎわいました。町なかには寺院や古い町家が点在しています。町内には弥生時代の大規模な環濠集落跡として知られる唐古・鍵遺跡もあり、史跡公園として整えられています。

【トリビア】

平野家は長泰の死後も田原本を治める旗本として続き、領地に住んで参勤交代を行う交代寄合という家格に置かれたとされます。幕末の1868年には石高を改めて大名に列し、田原本藩が生まれました。賤ヶ岳の戦いからおよそ285年、生涯旗本で終わった平野長泰の家は、江戸時代の最後の最後になって大名の仲間入りを果たしたことになります。

📅 最終更新: 2026/10/8
平野長泰
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です