糟屋武則

(かすやたけのり)
📍 近畿兵庫県 加古川市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

糟屋武則は播磨の加古川を本拠とした糟屋氏の出身で、羽柴秀吉に仕えた武将です。1583年の賤ヶ岳の戦いで七本槍の一人に数えられ、のちに加古川城主として1万2000石を領したといわれます。関ヶ原の戦いの後に所領を失いましたが、戦いでの動きやその後の足取りには諸説があります。一族の居城だった加古川城の跡は、いまの称名寺の一帯とされます。

【歴史】

糟屋武則は、播磨の加古川城を本拠とした糟屋氏の一族に生まれ、羽柴秀吉に仕えました。1583年の賤ヶ岳の戦いでは先駆けて敵に挑み、七本槍の一人として3000石を与えられます。のちに加増を受けて加古川城主となり、1万2000石を領したとされます。1600年の関ヶ原の戦いでは西軍に付いたとされ、戦いの後に所領を失いました。

【特徴】

糟屋武則は、七本槍のなかでも記録の少ない人物の一人です。姓は糟屋のほか加須屋とも書かれ、亡くなった年にも諸説があります。関ヶ原の戦いの後に所領を失ったのは七本槍のうち武則ただ一人で、のちに許されて徳川家に仕えたとする説もあります。七本槍の誉れを得ながら、歴史の表舞台から静かに姿を消したことが、かえって人々の関心を集めてきました。

【見どころ】

糟屋氏の居城だった加古川城の跡は、兵庫県加古川市にある称名寺の一帯とされます。称名寺は加古川の東岸に開けた市街地にあり、周辺はかつて西国街道の宿場町として栄えました。城の遺構はほとんど残っていませんが、寺の境内に立つと、街道が大河を渡る交通の要地に城が置かれていたことが実感できます。宿場町の名残を探しながら、周辺をゆっくり歩いてみるのもおすすめです。

【トリビア】

加古川城は、羽柴秀吉が播磨の諸将を集めて軍議を開いた加古川評定の舞台として知られます。1578年のこととされ、三木城主の別所長治の名代として出た別所吉親が秀吉と対立したと伝わります。これを機に別所氏は織田方を離れたとされ、およそ2年に及ぶ三木合戦が始まりました。のちに糟屋武則が賤ヶ岳で名を上げる前、一族の城は秀吉の播磨攻めの転機となる舞台でもあったのです。

📅 最終更新: 2026/10/8
糟屋武則
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です