豊臣五奉行

豊臣五奉行

豊臣五奉行は、秀吉の晩年に政権の実務を担った前田玄以・浅野長政・増田長盛・石田三成・長束正家の五人です。秀吉の死を前にした1598年ごろ、徳川家康ら五大老と並ぶ形で整えられ、両者を合わせて十人衆とも呼ばれました。ただし「五奉行」の名も後世に定着した呼び方で、当時は「奉行」や「年寄」と呼ばれ、どちらの集団をどう呼ぶかも定まっていなかったとされます。財政や京都の政務、諸大名との取次を分け持った五人は、関ヶ原で東西に分かれました。

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浅野長政
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 山梨県 甲府市

浅野長政

(あさのながまさ)

浅野長政は1547年に尾張で生まれ、妻のややが秀吉の正室おねと姉妹の間柄だったことから、秀吉と義理の兄弟として早くから重用されました。検地や兵糧の差配など政権の実務を担い、1593年ごろに子の幸長とともに甲斐を治めて甲府城を完成させます。秀吉の死後は家康暗殺の嫌疑を受けて謹慎し、関ヶ原では子の幸長が東軍に加わりました。

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石田三成
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 滋賀県 彦根市

石田三成

(いしだみつなり)

石田三成は1560年に近江で生まれ、寺で秀吉に茶を出して見いだされたという三献茶の逸話で知られる武将です。検地や兵站、諸大名との取次で頭角を現し、近江の佐和山城を居城としました。秀吉の死後は徳川家康と対立し、1600年に毛利輝元を総大将に担いで西軍を組織しましたが、関ヶ原で敗れて京都の六条河原で処刑されました。

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長束正家
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 滋賀県 甲賀市

長束正家

(なつかまさいえ)

長束正家は算術に長けた武将で、はじめ丹羽長秀に仕え、長秀の没後に秀吉の家臣となって豊臣政権の財政を担いました。太閤検地や直轄地の年貢の勘定、大軍の兵糧の手配を受け持ち、1595年に近江の水口岡山城主となります。関ヶ原では西軍として南宮山に布陣しましたが、吉川広家に阻まれて戦えないまま敗れ、水口へ退いたのちに自害したと伝わります。

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前田玄以
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 京都府 亀岡市

前田玄以

(まえだげんい)

前田玄以は1539年に美濃で生まれ、比叡山で出家したと伝わる僧出身の武将です。織田信忠に仕え、本能寺の変では信忠の幼い嫡男の三法師を守ったとされます。豊臣政権では京都所司代として京の政務や朝廷、寺社との交渉を担い、1595年に丹波亀山城を預かります。関ヶ原では西軍に名を連ねながら家康とも通じ、戦後も所領を保ちました。

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増田長盛
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 奈良県 大和郡山市

増田長盛

(ましたながもり)

増田長盛は1545年生まれの武将で、早くから秀吉に仕えて検地や兵糧の差配などの実務を担いました。1595年に大和の郡山城主となって二十万石を領し、城下町を囲む外堀を整えたとされます。関ヶ原の際は前田玄以・長束正家とともに西軍の側に立ちましたが、自らは合戦に出ずに大坂城の留守居にとどまり、戦後に所領を失いました。

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❓ 豊臣五奉行のよくある質問

Q.豊臣五奉行と五大老はどんな関係ですか?

A.五奉行は、秀吉の死を前にした1598年ごろに徳川家康ら五大老と並ぶ形で整えられ、両者を合わせて十人衆とも呼ばれました。ただし「五奉行」の名も後世に定着した呼び方で、当時は「奉行」や「年寄」と呼ばれ、どちらの集団をどう呼ぶかも定まっていなかったとされます。

Q.豊臣五奉行はそれぞれどんな役目を担ったのですか?

A.五人は政権の実務を分け持ちました。前田玄以は京都所司代として京の政務や朝廷・寺社との交渉を、長束正家は財政を主に受け持ちました。浅野長政と増田長盛は検地や兵糧の差配を担い、石田三成は検地や兵站、諸大名との取次で政権の仕組みを支えました。

Q.豊臣五奉行の体制はどのように崩れたのですか?

A.秀吉の死の翌年、石田三成が前田利家の死をきっかけに七人の大名から激しく糾弾され、家康の仲裁で佐和山へ退いたことが崩れる始まりとなりました。同じ年には浅野長政も家康暗殺の嫌疑を受け、謹慎することになりました。

Q.豊臣五奉行は関ヶ原の戦いでどうなったのですか?

A.五人は東西に分かれました。西軍を組織した石田三成は敗れて京都の六条河原で処刑され、長束正家も水口へ退いたのちに自害したと伝わります。西軍の側に立ちつつ大坂城の留守居にとどまった増田長盛は戦後に所領を失い、西軍に名を連ねながら家康とも通じた前田玄以は所領を保ちました。東軍には浅野長政の子の幸長が加わりました。

Q.豊臣五奉行のゆかりの地はどこにありますか?

A.五人ゆかりの城は京都府・山梨県・奈良県・滋賀県の4府県にあります。前田玄以の丹波亀山城跡は亀岡市、浅野長政の甲府城は甲府市、増田長盛の郡山城跡は大和郡山市、石田三成の佐和山城跡は彦根市、長束正家の水口岡山城跡は甲賀市です。直線距離では、甲府城と残る四つの城は約210〜280km離れていますが、四つの城どうしは約40〜80kmの範囲にあります。

📍 所在地マップ