前田玄以

(まえだげんい)
📍 近畿京都府 亀岡市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

前田玄以は1539年に美濃で生まれ、比叡山で出家したと伝わる僧出身の武将です。織田信忠に仕え、本能寺の変では信忠の幼い嫡男の三法師を守ったとされます。豊臣政権では京都所司代として京の政務や朝廷、寺社との交渉を担い、1595年に丹波亀山城を預かります。関ヶ原では西軍に名を連ねながら家康とも通じ、戦後も所領を保ちました。

【歴史】

前田玄以は1539年に美濃で生まれ、若いころ比叡山で出家したと伝わります。1579年ごろから織田信長の嫡男の信忠に仕え、1582年の本能寺の変で信忠が討たれると、その幼い子の三法師を守って難を逃れたとされます。豊臣政権では京都所司代を務め、1595年に丹波亀山城を預かって、1598年に五奉行の一人となりました。関ヶ原では西軍に名を連ねつつ家康とも通じて所領を保ち、1602年に京都で没しています。

【特徴】

前田玄以は戦場の武功よりも行政の手腕で重んじられた人物で、徳善院とも呼ばれました。京都所司代として洛中洛外の政務や寺社に関わる諸事、朝廷や公家との交渉を長く受け持ち、五奉行のなかでも財政を担った長束正家と並んで役目がはっきりしていたとされます。1592年に向日の町へ宛てて出した定書は、いまも向日市の指定文化財として伝わっています。

【見どころ】

前田玄以が預かった丹波亀山城の跡は京都府亀岡市にあり、いまは大本の本部の敷地となっています。明治に廃城となって荒れた城跡を1919年に出口王仁三郎が手に入れて石垣を積み直し、戦前の弾圧で壊されたのちも戦後に修復が重ねられました。受付で申し出ると見学でき、木立のなかに石垣や天守台が残ります。見学できる範囲や条件は変わることがあります。

【トリビア】

前田玄以が預かった亀山城は、本能寺の変の際に明智光秀が出陣した城でした。変を生き延びて信長の孫を守った玄以が、のちに光秀の城の主となったことになります。玄以が没したあと、城は1610年に藤堂高虎の縄張りで大きく改修され、五層の天守には今治城の天守を移したという説も伝わります。いまは天守の姿はなく、積み直された石垣が城の名残を伝えています。

📅 最終更新: 2026/10/8
前田玄以
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です