【概要】
石田三成は1560年に近江で生まれ、寺で秀吉に茶を出して見いだされたという三献茶の逸話で知られる武将です。検地や兵站、諸大名との取次で頭角を現し、近江の佐和山城を居城としました。秀吉の死後は徳川家康と対立し、1600年に毛利輝元を総大将に担いで西軍を組織しましたが、関ヶ原で敗れて京都の六条河原で処刑されました。
【歴史】
石田三成は1560年に近江の石田村で生まれ、長浜城主だった羽柴秀吉に見いだされて仕えました。検地や兵站の差配で頭角を現し、1590年の小田原攻めでは忍城攻めの大将を務め、朝鮮出兵では奉行として海を渡ります。のちに佐和山城を居城とし、五奉行の一人として政権の中枢を担いました。1600年には毛利輝元を総大将に担いで挙兵しますが、関ヶ原で敗れて京都の六条河原で処刑されました。
【特徴】
石田三成は算用や事務に長け、全国の検地や兵糧の輸送、諸大名との取次を通じて豊臣政権の仕組みを支えました。その一方で、朝鮮出兵をめぐる確執などから、加藤清正や福島正則ら武功を重んじる大名と対立を深めます。秀吉の死の翌年、前田利家の死をきっかけに七人の大名から激しく糾弾され、家康の仲裁で佐和山へ退いたことが、五奉行の体制が崩れる始まりとなりました。
【見どころ】
石田三成の居城だった佐和山城の跡は、滋賀県彦根市にある佐和山の山上に広がります。関ヶ原の後に落城し、井伊家が彦根城を築く際に石垣や用材が運ばれたため、建物は残っていません。それでも山上には曲輪の跡が残り、西の麓には井伊家ゆかりの龍潭寺や清凉寺が並びます。国宝の彦根城の天守からは、東に佐和山の山並みを望むことができます。
【トリビア】
「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と落首にうたわれたほど、佐和山城は三成の身の丈を超える名城として広く知られました。ところが落城後に城へ入った東軍の将兵が、壁は荒壁のままで飾り気のない造りに驚いたという逸話も伝わります。私財を蓄えなかったという石田三成の人柄を物語る話として、いまも語り継がれています。
