江戸三大道場は、幕末の江戸でとくに多くの門人を集めた三つの剣術道場で、北辰一刀流の千葉周作が神田お玉ヶ池に開いた玄武館、神道無念流の斎藤弥九郎が九段に構えた練兵館、鏡新明智流の桃井春蔵が率いた蜊河岸の士学館を指します。後世には「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」と剣風が言い分けられました。各地の藩士がここで腕を磨き、のちに幕末の動乱で名を残した人物も少なくありません。三つの道場の建物はどれも残っておらず、跡地の近くには碑や説明板が立っています。
A.江戸三大道場の剣風を、後世に言い分けた評です。桃井春蔵の士学館は構えや所作の美しさと品格、千葉周作の玄武館は技の理屈を言葉で説く合理的な指導、斎藤弥九郎の練兵館は力強い打ち込みで知られ、それぞれ「位」「技」「力」と評されました。
A.三つの道場の建物はどれも残っておらず、跡地の近くに碑や説明板が立っています。玄武館は千代田区神田東松下町の一角に碑と案内板、練兵館は靖国神社の南門を入ってすぐの所に石碑と案内板があります。士学館の説明板は、中央区銀座一丁目の京橋公園の一角に立っています。
A.坂本龍馬は北辰一刀流を学びましたが、通ったのは玄武館ではなく、千葉周作の弟の千葉定吉が京橋桶町に開いた道場でした。お玉ヶ池の玄武館を大千葉、桶町の道場を小千葉と呼び分けることもあります。同じ土佐の武市半平太とその周りの若者たちは、桃井の士学館に集まりました。
A.各地の藩士が腕を磨き、のちに幕末の動乱で名を残した人物も少なくありません。玄武館には清河八郎や山岡鉄舟、練兵館には長州藩の桂小五郎や高杉晋作が名を連ね、桂は塾頭を務めたとされます。士学館では土佐藩の武市半平太が塾頭を務めたとされ、岡田以蔵も入門したといわれます。
A.三か所とも東京都の千代田区と中央区にあり、碑や説明板の場所どうしは直線距離で約2〜3kmの範囲に収まっています。玄武館と士学館は約2km、練兵館は玄武館と士学館のどちらからも約3km離れています。玄武館の跡の近くには、お玉ヶ池の跡を伝える碑とお玉稲荷もあります。