増田長盛

(ましたながもり)
📍 近畿奈良県 大和郡山市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

増田長盛は1545年生まれの武将で、早くから秀吉に仕えて検地や兵糧の差配などの実務を担いました。1595年に大和の郡山城主となって二十万石を領し、城下町を囲む外堀を整えたとされます。関ヶ原の際は前田玄以・長束正家とともに西軍の側に立ちましたが、自らは合戦に出ずに大坂城の留守居にとどまり、戦後に所領を失いました。

【歴史】

増田長盛は1545年に生まれ、出身は尾張とも近江ともいわれます。早くから羽柴秀吉に仕えて奉行として頭角を現し、各地の検地や兵糧の差配を担い、朝鮮出兵では石田三成らとともに奉行として海を渡りました。1595年には秀吉の弟の秀長が本拠とした大和の郡山城に入り、二十万石を領する大名となります。秀吉の晩年には五奉行の一人に数えられ、政権の実務を支えました。

【特徴】

増田長盛は実務に通じた奉行で、全国で進められた検地や、諸大名との取次などで手腕を発揮しました。郡山では秋篠川の流れを東へ移し、もとの川筋を生かして城下町を囲む外堀を整えたとされます。関ヶ原の際は西軍の側に立って大坂城の留守居を務めながら、城内の様子を家康に伝えていたともいわれ、その身の処し方は慎重とも日和見とも評されます。

【見どころ】

増田長盛が城主を務めた郡山城の跡は奈良県大和郡山市にあり、桜の名所として親しまれています。天守台の石垣には石材の不足を補うために石仏や墓石が転用され、北側には上下を逆さに積まれた逆さ地蔵が残ります。2017年に展望施設が整った天守台からは町並みや薬師寺、平城宮跡の大極殿まで見渡せ、昭和に復元された追手門や櫓が並ぶ堀端の眺めも見どころです。

【トリビア】

関ヶ原の後、増田長盛は所領を没収され、1615年の大坂の陣で子の盛次が豊臣方に加わったことから、同じ年に自害を命じられたとされます。郡山城はその後も城主が替わり、1724年には甲府城を居城としていた柳澤吉里が移ってきました。五奉行の浅野長政が整えた甲府城と、長盛の郡山城が柳澤家によって結ばれたことになり、吉里の家臣が持ち込んだと伝わる金魚はいまも町の名物です。

📅 最終更新: 2026/10/8
増田長盛
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です