江戸の三大改革

江戸の三大改革

江戸の三大改革は、江戸時代の中ごろから後期にかけて幕府が行った享保の改革・寛政の改革・天保の改革の三つをまとめた呼び名です。八代将軍の徳川吉宗、老中首座の松平定信、同じく老中首座の水野忠邦がそれぞれ中心となり、財政難や飢饉、物価の高騰に倹約と統制で立ち向かいました。三つを並べて呼ぶようになった由来ははっきりしませんが、三大改革としてまとめる見方は戦前の研究書にも見られ、いまは教科書でもおなじみの組み合わせとされています。

日本名数>江戸の三大改革
寛政の改革
🏯 歴史
📍 福島県 白河市

寛政の改革

(かんせいのかいかく)

寛政の改革は、天明7年(1787年)に老中首座となった白河藩主の松平定信が、寛政5年(1793年)まで進めた幕政改革です。天明の飢饉と打ちこわしで揺らいだ幕府を立て直すため、米の備蓄や江戸の救済の仕組みを整え、厳しい倹約と学問・出版の統制を行いました。福島県白河市にある南湖公園は、定信が老中を退いたのちに、身分を問わず楽しめる場として築いた庭園です。

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享保の改革
🏯 歴史
📍 東京都 文京区

享保の改革

(きょうほうのかいかく)

享保の改革は、紀州藩主から八代将軍となった徳川吉宗が、享保元年(1716年)から30年ほどにわたって進めた幕政の立て直しです。倹約と上げ米、新田開発で傾いた財政を支え、目安箱や公事方御定書で政治と裁判の仕組みも整えました。目安箱への投書から生まれた小石川養生所の跡は、東京都文京区にある小石川植物園の中に井戸として残っています。

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天保の改革
🏯 歴史
📍 静岡県 浜松市

天保の改革

(てんぽうのかいかく)

天保の改革は、老中首座の水野忠邦が天保12年(1841年)から天保14年(1843年)にかけて進めた幕政改革です。天保の飢饉や大塩平八郎の乱、外国船の接近で内外の危機が深まるなか、厳しい倹約令や株仲間の解散で立て直しを図りましたが、上知令への反発で2年あまりで挫折しました。忠邦が藩主を務めた浜松城は、静岡県浜松市に城跡公園として残っています。

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❓ 江戸の三大改革のよくある質問

Q.江戸の三大改革はそれぞれ誰が中心となり、どのくらい続きましたか?

A.享保の改革は八代将軍の徳川吉宗、寛政の改革は老中首座の松平定信、天保の改革は同じく老中首座の水野忠邦が中心となりました。享保の改革は享保元年(1716年)から30年ほど続きましたが、寛政の改革は6年ほど、天保の改革は2年あまりで終わっています。

Q.江戸の三大改革はどんな問題を立て直すために行われたのですか?

A.いずれも幕府の財政難や社会の混乱を立て直すために行われました。享保の改革の前には元禄期の出費や金銀の産出の減少で財政が苦しく、寛政の改革は天明の飢饉と打ちこわしで揺らいだ幕府の立て直しを目指しました。天保の改革は、天保の飢饉や大塩平八郎の乱、外国船の接近で内外の危機が深まるなかで始まっています。

Q.江戸の三大改革では、それぞれどんな政策が行われましたか?

A.三つとも倹約を柱にしながら、それぞれ独自の政策を打ち出しました。享保の改革では上げ米や新田開発、目安箱、公事方御定書が知られます。寛政の改革では囲米や七分積金、棄捐令、寛政異学の禁が行われ、天保の改革では株仲間の解散や人返しの令、上知令が出されました。享保の改革は、のちの寛政・天保の改革の手本とされました。

Q.寛政の改革と天保の改革は、当時の人々にどう受け止められましたか?

A.どちらも厳しさへの不満を招きました。寛政の改革は、白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき、という狂歌で風刺されました。天保の改革では上知令が大名や旗本の強い反対にあって水野忠邦の失脚の決め手となり、忠邦が罷免された日には屋敷に町人が押し寄せて石を投げたといわれます。

Q.江戸の三大改革にゆかりのある場所はどこで見られますか?

A.東京都文京区の小石川植物園、福島県白河市の南湖公園、静岡県浜松市の浜松城公園がゆかりの地です。小石川植物園には享保の改革の目安箱から生まれた小石川養生所の井戸が残ります。南湖公園は松平定信が築いた庭園で、日本で最も古い公園ともいわれます。浜松城は水野忠邦が藩主を務めた城で、出世城とも呼ばれます。

📍 所在地マップ

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