浅野長政

(あさのながまさ)
📍 中部山梨県 甲府市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

浅野長政は1547年に尾張で生まれ、妻のややが秀吉の正室おねと姉妹の間柄だったことから、秀吉と義理の兄弟として早くから重用されました。検地や兵糧の差配など政権の実務を担い、1593年ごろに子の幸長とともに甲斐を治めて甲府城を完成させます。秀吉の死後は家康暗殺の嫌疑を受けて謹慎し、関ヶ原では子の幸長が東軍に加わりました。

【歴史】

浅野長政は1547年に尾張で生まれ、織田家に仕えた浅野長勝の養子となって、その娘のややを妻に迎えました。長勝のもとでは養女のおねも育ち、のちに秀吉へ嫁いだため、長政は秀吉と義理の兄弟の間柄として早くから仕えます。長く長吉と名乗り、1593年ごろには子の幸長とともに甲斐を治めて甲府城を完成させ、秀吉の晩年に五奉行の一人に数えられました。

【特徴】

浅野長政は合戦の武功よりも、検地や兵糧の差配、米を納める蔵の管理、豊臣家の直轄地の運営といった実務で政権を支えた奉行です。官途は弾正少弼で、浅野弾正とも呼ばれました。秀吉の朝鮮出兵に強く反対したという逸話も残り、身内として率直に意見できる立場だったことがうかがえます。秀吉の死の翌年には家康暗殺の嫌疑を受け、謹慎することになりました。

【見どころ】

浅野長政が子の幸長とともに完成させた甲府城は、山梨県甲府市にある舞鶴城公園として整えられています。自然石をほとんど加工せずに積んだ野面積みの高石垣は築城当時の姿を色濃く残し、本丸の天守台からは甲府盆地や南アルプス、晴れた日には富士山まで見渡せます。復元された稲荷櫓や鉄門、山手御門も並び、甲府駅のすぐ南という近さで気軽に歩けます。

【トリビア】

関ヶ原で東軍に付いた浅野家は、戦後に子の幸長が紀伊を与えられて和歌山城に入り、のちに一族は十二代にわたって広島城主を務めました。長政自身には常陸の真壁に五万石が与えられ、1611年に没しました。墓所は真壁の伝正寺にあります。真壁を継いだ三男の長重の家系からはのちに赤穂藩の浅野家が出ており、忠臣蔵で知られる浅野内匠頭長矩も長政の子孫にあたります。

📅 最終更新: 2026/10/8
浅野長政
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です