室町幕府のもとで京都の警察と刑事裁判を受け持った役所が侍所で、その長官にあたる所司を交代で務めた赤松氏・一色氏・山名氏・京極氏の四つの家を四職と呼びます。所司はしばしば山城国の守護も兼ね、四家は管領を出す三つの家に次ぐ家格とされました。嘉吉の乱や明徳の乱、応仁の乱といった室町時代の大事件には、いずれかの家が深く関わっています。四家の本拠や菩提寺の多くは、いまも城跡や寺として訪ねることができます。
A.四職は侍所の長官にあたる所司を交代で務めた家、三管領は管領を出す家で、四職は三管領に次ぐ家格とされました。侍所は室町幕府のもとで京都の警察と刑事裁判を受け持った役所で、所司はしばしば山城国の守護も兼ねました。四職には赤松氏・一色氏・山名氏・京極氏の四家が数えられます。
A.赤松氏が乱を起こし、山名氏がそれを討ちました。1441年、赤松満祐は六代将軍の足利義教を京都の屋敷に招いて討ち取り、播磨の城山城に籠もりましたが、山名持豊、のちの宗全らに攻められて自害しました。山名氏は播磨などを得て幕府の有力者に返り咲き、赤松氏はのちに赤松政則が家の再興を許されました。
A.山名氏は所領を大きく減らし、一色氏と京極氏は幕府方として働いて守護の国を加えました。1391年の明徳の乱で山名氏清は京都の内野で討たれ、山名氏の領国は但馬・因幡・伯耆の三か国ほどに減ります。一方で一色詮範と満範の父子は丹後の守護職を加えられ、京極高詮は出雲と隠岐の守護に任じられました。
A.山名氏と一色氏は西軍、赤松氏は東軍につきました。山名宗全は西軍を率い、京都の屋敷を西軍の本陣としたことから、その一帯はいまも西陣と呼ばれています。一色氏では一色義直が西軍につきました。赤松政則は東軍に加わり、山名氏の手に渡っていた播磨を取り戻しています。
A.兵庫県上郡町の白旗城跡、京都府舞鶴市の建部山、兵庫県豊岡市の此隅山城跡、滋賀県米原市の清滝寺徳源院があります。白旗城跡は赤松氏、建部山は一色氏、此隅山城跡は山名氏の城があった場所です。清滝寺徳源院は京極家の菩提寺で、歴代当主の墓所が国の史跡に指定されています。