五摂家は、近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家の五つの公家を指す呼び名で、摂政・関白に就くことのできた最高の家柄です。いずれも藤原北家の嫡流から鎌倉時代に分かれ、藤原忠通の子の基実の流れから近衛家と鷹司家が、兼実の流れから九条家・二条家・一条家が生まれました。分立が確定した時期には1252年ごろとする説と1273年とする説があります。江戸時代には五家の屋敷が御所を囲むように並び、いまの京都御苑にその跡が残っています。
A.五家はいずれも藤原北家の嫡流から鎌倉時代に分かれました。藤原忠通の子の基実の流れから近衛家と、近衛家実の子の兼平が興した鷹司家が生まれました。忠通の子の九条兼実の流れからは九条家が出て、孫の九条道家の子から二条家と一条家が分かれたため、九条家は三つの摂家の本家にあたります。
A.分立が確定した時期には、1252年ごろとする説と1273年とする説があります。鷹司家の祖である鷹司兼平が1252年に摂政となり、ここに近衛・九条・二条・一条と並ぶ五摂家の顔ぶれがそろったとする見方があります。五家はいずれも鎌倉時代に分かれました。
A.江戸時代の屋敷跡は、いずれも京都市上京区の京都御苑とその周辺にあります。御苑の北の今出川御門を入ってすぐが近衛邸跡、北西の乾御門に近い一帯が一条邸跡で、南の堺町御門をはさんで西に九条邸跡、東に鷹司邸跡が並びます。二条家の屋敷跡は今出川通の北、同志社の今出川校地にあたります。
A.九条家からは貞明皇后、一条家からは昭憲皇太后が出ています。九条道孝の娘の節子は大正天皇の皇后となり、のちに貞明皇后と呼ばれました。一条忠香の娘は明治天皇の皇后となって昭憲皇太后と呼ばれ、和歌に秀で、女子教育や日本赤十字社の活動を支えたことで知られています。
A.京都御苑の近衛邸跡と一条邸跡が、桜や紅葉の名所として知られます。近衛邸跡では近衛池を囲むしだれ桜が御苑のなかでもひときわ早く咲き、毎年三月の終わりごろから多くの花見客が訪れます。一条邸跡は、晩秋にモミジやイチョウの黄色と赤の葉が重なり合う紅葉の名所として紹介されています。