【概要】
二条家は、九条道家の次男である二条良実を祖とする五摂家のひとつで、鎌倉時代の中ごろに九条家から分かれました。南北朝時代の二条良基は北朝で関白を重ね、連歌集の菟玖波集を編んで連歌を文芸として高めました。幕末の二条斉敬は最後の関白・摂政となった人物です。江戸時代の屋敷跡は、京都市上京区の今出川通の北、いまの同志社の今出川校地にあたります。
【歴史】
二条家は、鎌倉幕府と結んで権勢を誇った九条道家の次男、二条良実に始まります。道家が子の教実・良実・実経を次々と摂関に就けたのち、良実の流れは二条家として独立しました。室町時代から江戸時代にかけても摂政・関白を出し続け、幕末には二条斉敬が関白に就き、1867年の王政復古の大号令で摂政・関白の職が廃止されるまで務めて、最後の関白・摂政となりました。
【特徴】
二条家の名を文学史に残したのは、南北朝時代の二条良基です。北朝の朝廷で何度も関白を務める一方、連歌師の救済に学び、二人で准勅撰の連歌集である菟玖波集を編みました。連歌の規則を整えた応安新式や、多くの連歌論書も著し、遊びとして楽しまれていた連歌を和歌と並ぶ文芸へと押し上げました。若き日の世阿弥を引き立てたことでも知られています。
【見どころ】
江戸時代の二条家の屋敷は、御所の北、今出川通をはさんだ向かい側にありました。京都市上京区の今出川通の北側にある同志社の今出川校地の一角がその跡にあたり、明治以来のれんが造りの校舎が並ぶ学びの場になっています。通りを南へ渡れば京都御苑の今出川御門で、かつて二条家の当主が御所へ通った道筋を、いまも歩いてたどることができます。
【トリビア】
同志社では1980年以降、校舎の建設に合わせて二条家の屋敷跡の発掘調査を重ね、公家屋敷の暮らしを伝える遺構や遺物が見つかってきました。さらに二条家に伝わった古文書の数々も同志社で保管され、研究が続けられています。学び舎の地下に五摂家の屋敷が眠り、その家の記録がいまも同じ場所で読み解かれているのは、二条家ならではの不思議な縁といえるでしょう。
