近衛家

(このえけ)
📍 近畿京都府 京都市上京区🏯 歴史

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【概要】

近衛家は、藤原忠通の長男である基実を祖とする五摂家の筆頭の家です。家名は基実の屋敷に由来し、近衛大路に面した宮門の名から陽明家とも呼ばれました。藤原道長の日記で国宝の御堂関白記を代々守り伝え、近代には首相を務めた近衛文麿を出しています。京都市上京区の京都御苑の北には屋敷跡が残り、春には糸桜が池のほとりを彩ります。

【歴史】

近衛家は、平安時代末期に摂政・関白を務めた藤原忠通の長男、基実に始まります。基実の子孫は摂関家の嫡流として重んじられ、のちに分家の鷹司家を生みました。戦国時代には近衛前久が越後の上杉謙信と親しく交わり、京と地方を行き来して政局に関わりました。明治維新で摂関の制度がなくなると公爵に列し、昭和の初めには近衛文麿が三度にわたって内閣を率いました。

【特徴】

近衛家の最大の特徴は、摂関家の歴史を語る古記録や美術品を千年近くにわたって守り続けてきたことです。藤原道長が自ら記した日記の御堂関白記は、応仁の乱で屋敷が焼けた際にも当主らが別の場所へ移して難を逃れたと伝えられ、いまは国宝に指定されています。こうした家伝の品々は、1938年に近衛文麿が京都に設立した陽明文庫で保管されています。

【見どころ】

京都市上京区の京都御苑では、今出川御門を入ってすぐの一帯が近衛邸跡です。江戸時代には池の西側に大きな屋敷と庭園があり、御所が火災で焼けた際には天皇の仮の住まいにもなりました。いまは建物がなく、近衛池を囲むように一重や八重のしだれ桜が植えられ、御苑のなかでもひときわ早く咲く桜の名所として、毎年三月の終わりごろから多くの花見客が訪れます。

【トリビア】

近衛邸の糸桜は江戸時代から名高く、幕末の孝明天皇は近衛家を訪れた折にこの桜をたいへん気に入り、和歌を詠んだと伝えられます。近衛家が陽明家とも呼ばれるのは、平安京の大内裏で近衛大路に面して開いていた陽明門にちなむためで、家伝の品を納める陽明文庫の名もここから取られています。近衛邸跡の池の北には、秋に赤く色づくタイワンフウの木も立っています。

📅 最終更新: 2026/10/25
近衛家
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です