天下五剣は、数ある日本刀のなかでも特に名高い五振りの太刀、童子切安綱・三日月宗近・鬼丸国綱・大典太光世・数珠丸恒次をまとめた呼び名です。選ばれた時期ははっきりしませんが、室町時代ごろからこう呼ばれるようになったとされます。いずれも平安時代から鎌倉時代に打たれ、童子切・三日月・大典太の三振りは国宝、数珠丸は重要文化財、鬼丸は皇室の御物として、東京国立博物館や前田育徳会、尼崎の本興寺などに伝わっています。
A.天下五剣はいずれも平安時代から鎌倉時代に打たれた太刀で、室町時代ごろからこう呼ばれるようになったとされます。童子切安綱と大典太光世は平安時代の刀工の作、三日月宗近は平安時代の三条宗近の作と伝わり、鬼丸国綱と数珠丸恒次は鎌倉時代に打たれました。選ばれた時期ははっきりしていません。
A.童子切安綱・三日月宗近・大典太光世の三振りが国宝で、数珠丸恒次は重要文化財です。鬼丸国綱は皇室の御物で、御物は文化財保護法の指定の対象にならないため国宝や重要文化財には指定されていませんが、その評価は国宝の名刀と並ぶものとされています。
A.童子切安綱と三日月宗近は東京都台東区の東京国立博物館、大典太光世は東京都目黒区の駒場に本拠を置く前田育徳会が所蔵しています。鬼丸国綱は皇室の御物として宮内庁が管理し、数珠丸恒次は兵庫県尼崎市の本興寺に寺宝として伝わります。いずれも常に公開されているわけではなく、展示の機会は限られています。
A.童子切安綱は源頼光が酒呑童子の首を斬ったこと、鬼丸国綱は北条時頼を夢で苦しめた小鬼を退けたことに由来すると伝わります。三日月宗近は刃文に三日月の形の模様が浮かぶこと、数珠丸恒次は日蓮聖人が柄に数珠を掛けたという言い伝えが名の由来です。大典太光世の大の字は、迫力ある姿にちなむとされます。
A.足利将軍家や豊臣秀吉、徳川家など、時の権力者の手を渡ったと伝わる刀が多くあります。童子切安綱は足利将軍家から豊臣秀吉、徳川家康を経て越前松平家へ、大典太光世は足利義昭から豊臣秀吉、前田利家へ渡ったとされます。鬼丸国綱は北条氏から新田義貞、足利将軍家などを経て皇室の御物となりました。