日本三古碑は、飛鳥時代末から奈良時代にかけて建立された歴史的価値が極めて高い3つの石碑の総称です。栃木県の那須国造碑(700年ごろ)、群馬県の多胡碑(711年)、そして宮城県の多賀城碑(壺の碑、762年)の3つを指します。当時の地方行政や交通、軍事の様子、さらには都との繋がりを示す第一級の金石文として、那須国造碑と多賀城碑は国宝に、多胡碑は国の特別史跡に指定されており、古代日本の息吹を現代に伝える貴重な歴史遺産です。
A.最も古いとされるのは栃木県大田原市の那須国造碑で、西暦700年に建立されたと考えられています。群馬県高崎市の多胡碑は和銅4年(711年)、宮城県多賀城市の多賀城碑は天平宝字6年(762年)に建立されました。
A.多賀城碑には都や国境からの距離と、大野東人によって多賀城が創建されたことが刻まれています。多胡碑は上野国に多胡郡が設置されたことを記念する内容です。那須国造碑は那須直韋提の功績を讃える碑で、朝廷から「評督」という役職が与えられていたことがわかります。
A.那須国造碑と多賀城碑が国宝に指定されています。多賀城碑は2024年8月に古文書として国宝に指定され、日本三古碑では那須国造碑に続く二例目の国宝となりました。多賀城碑は江戸時代の偽物ではないかという論争がありましたが、調査によって奈良時代の真作とする見方が定着しています。
A.丸みを帯びた力強い「六朝風」の書体で約80文字が刻まれており、その書体そのものが古くから高く評価されてきたためです。書道の世界では最高のお手本として愛され、清の時代には拓本が海を渡って広まり、中国の文人墨客たちからも大絶賛されたといいます。
A.三つの碑は宮城県・群馬県・栃木県の3県にあります。直線距離では、多胡碑と那須国造碑が約120km、多賀城碑と那須国造碑が約180km、多賀城碑と多胡碑が約290km離れています。