日本三大開拓地

日本三大開拓地

日本三大開拓地(にほんさんだいかいたくち)とは、旧農林省の『戦後開拓史』に大規模な開拓の成功例として記された3つの地域、青森県十和田市(三本木原)、福島県矢吹町(矢吹ヶ原)、宮崎県川南町を指します。十和田は幕末の新渡戸傳による開墾に始まり、矢吹と川南は戦前に国営事業が着手され、戦後の食糧増産の時代に大きく実を結びました。荒野を豊かな農地へ変えた先人たちの努力の結晶です。

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十和田(三本木原)
🏯 歴史
📍 青森県 十和田市

十和田(三本木原)

(とわだ(さんぼんぎはら))

青森県十和田市の三本木原は、水の乏しい火山灰台地の原野でした。1855年に盛岡藩士の新渡戸傳が開墾に着手し、奥入瀬川から水を引く人工河川「稲生川」を1859年に通水させたことで開拓が本格化します。戦後は旧陸軍の軍馬補充部の用地が開放され、国営の開墾事業も進みました。碁盤の目状の町割りや防風林が特徴で、現在は野菜や畜産が盛んな農業地帯です。

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矢吹(矢吹ヶ原)
🏯 歴史
📍 福島県 矢吹町

矢吹(矢吹ヶ原)

(やぶき(やぶきがはら))

福島県矢吹町の矢吹ヶ原は、水に恵まれない火山灰台地でした。1941年に国営白河矢吹開拓建設事業が着手され、阿賀野川水系の鶴沼川に羽鳥ダムを築いて、分水嶺を越えた阿武隈川水系の台地へ羽鳥疏水で水を導きました。1964年に事業が完了し、約3300ヘクタールの農地が生まれています。「水」との闘いを克服した歴史を持ち、現在は米どころとして知られています。

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川南(通山)
🏯 歴史
📍 宮崎県 川南町

川南(通山)

(かわみなみ(とおりやま))

宮崎県川南町の川南原は、戦前は陸軍の軍馬補充部や落下傘部隊の訓練地が置かれたシラス台地でした。国の開墾事業は1939年に着手されたものの戦争で中断し、戦後に開放された軍用地へ引揚者や復員兵が全国から入植して、開拓が本格化しました。その経緯から「川南合衆国」とも呼ばれ、現在は養豚や養鶏をはじめとする畜産が盛んな県内有数の産地となっています。

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❓ 日本三大開拓地のよくある質問

Q.十和田(三本木原)の開拓はいつ始まったのですか?

A.1855年(安政2年)、盛岡藩士の新渡戸傳が六十三歳で開墾に着手したのが始まりです。長男の十次郎らが工事を引き継ぎ、1859年(安政6年)5月4日に人工水路の通水を成し遂げました。工事は新渡戸家三代にわたって受け継がれました。

Q.十和田(三本木原)の開拓で掘られた稲生川とは何ですか?

A.奥入瀬川の上流から水を引いた人工河川で、十和田(三本木原)の開拓の生命線となりました。穴堰と呼ばれるトンネル水路を二本掘り抜いて台地の上まで水を導く難工事で、水は農業用水のほか生活用水や防火用水としても使われました。

Q.矢吹(矢吹ヶ原)はなぜ日本三大開拓地に数えられるのですか?

A.旧農林省の『戦後開拓史』に成功例として記されたことから、日本三大開拓地の一つに数えられるようになりました。矢吹ヶ原は水に恵まれない火山灰台地で、1941年(昭和16年)に国営白河矢吹開拓建設事業が着手され、1964年(昭和39年)に全事業が完了しています。

Q.川南(通山)の開拓にはどのような人々が集まったのですか?

A.満州からの引揚者や復員した兵士、戦災に遭った人々が全国各地から集まりました。約千八百ヘクタールに及ぶ原野を人力で切り開く過酷な作業でした。入植者が全国から集まった経緯から、川南町は「川南合衆国」の愛称でも親しまれています。

Q.日本三大開拓地の3つの町には交流がありますか?

A.はい、十和田市・矢吹町・川南町は三大開拓地として交流を続けています。3か所は青森県・福島県・宮崎県に分かれ、直線距離で十和田(三本木原)と矢吹(矢吹ヶ原)は約390km、十和田(三本木原)と川南(通山)は約1270km離れています。

📍 所在地マップ

123十和田(三本木原)矢吹(矢吹ヶ原)川南(通山)200 km地図データ: Natural Earth
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