俳諧(俳句)の聖地として知られる三つの歴史的な道場です。松尾芭蕉ゆかりの地が多く、多くの門人たちが集い、研鑽を積んだ場所です。京都の「落柿舎」、滋賀の「義仲寺(無名庵)」、神奈川大磯の「鴫立庵」を指します。それぞれが風情ある草庵の姿を今に伝え、俳句愛好家の巡礼地となっています。
A.落柿舎と無名庵(義仲寺)は芭蕉が滞在した庵です。芭蕉は落柿舎を元禄2年(1689年)以来3度訪れて『嵯峨日記』を著し、無名庵(義仲寺)には元禄年間にたびたび滞在しました。遺言により義仲寺に葬られ、義仲の墓の隣に芭蕉の墓が並んでいます。
A.庭に40本ほどあった柿の実を商人に売る約束をしたその夜、嵐で実がすべて落ちてしまったという逸話に由来すると伝わります。向井去来は代金を返し、以後自ら「落柿舎の去来」と名乗ったとされます。
A.寛文4年(1664年)に小田原の崇雪が草庵を結んだのが始まりです。庵名は西行法師が『新古今和歌集』に残した「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」の歌にちなみます。江戸時代から現在まで庵主が途切れず受け継がれてきた点が大きな特色です。
A.崇雪が大磯の風光を中国の洞庭湖南岸になぞらえ、「湘南」の文字を標石に刻んだとされるためです。この言葉がのちに神奈川の海岸一帯を指す地名として定着したことから、小さな庵が湘南という広域名称の発祥地とされ、記念碑も建っています。
A.開かれています。鴫立庵は定期的な句会が開かれる現役の道場で、3月の西行祭では句会や短冊の奉納が行われます。義仲寺では10月の芭蕉忌「時雨忌」に法要と句会が営まれ、落柿舎には訪れた人が句を書いた短冊を納める投句箱が置かれています。