日本三大史論(にほんさんだいしろん)とは、日本の歴史学において特に重要とされる、慈円の『愚管抄』、北畠親房の『神皇正統記』、新井白石の『読史余論』の3つの史論書を指します。
A.最も古いのは愚管抄で、鎌倉時代初期の承久二年(一二二〇年)頃に書かれました。神皇正統記は南北朝時代の一三三九年、読史余論は江戸時代中期の一七一二年の成立です。三つの書は中世から近世にかけて、それぞれ異なる時代に生まれました。
A.愚管抄の慈円は天台座主を四度務めた僧で、九条兼実の弟にあたります。神皇正統記の北畠親房は南朝の重臣として関東で北朝方と対峙しました。読史余論の新井白石は朱子学者で、六代将軍徳川家宣の側近として正徳の治を主導した人物です。
A.愚管抄は貴族の世から武士の世への転換を「道理」という言葉で説明しました。神皇正統記は皇位継承をたどり、正統が南朝の大覚寺統にあることを論じています。読史余論は九変五変論という独自の時代区分で、公家から武家へ権力が移った必然を論証しました。
A.後の書が先の書を踏まえている関係があります。新井白石は読史余論を書くにあたり、北畠親房の神皇正統記などの先行する史書を踏まえました。また愚管抄は、神皇正統記と並んで中世日本を代表する歴史書とされています。
A.愚管抄の慈円は京都の青蓮院を拠点に活動し、神皇正統記は北畠親房が常陸国の小田城で書き上げたと伝えられます。読史余論はもとは徳川家宣への進講の草稿で、講義は江戸城で行われました。小田城跡は国の史跡として整備されています。