日本三大お家騒動

日本三大お家騒動

日本三大お家騒動(にほんさんだいおいえそうどう)は、江戸時代に起こった大名家の内紛の中でも特に有名な3つの事件、「加賀騒動」「伊達騒動」「黒田騒動」を指します。これらは権力争いや藩政改革に伴う対立が原因で、多くの関係者が処罰されるなど大きな悲劇を生みました。歌舞伎や講談の題材としても広く知られています。

日本三大図鑑>日本三大お家騒動
伊達騒動
🏯 歴史
📍 宮城県 仙台市

伊達騒動

(だてそうどう)

江戸時代前期、仙台藩伊達家で起きたお家騒動です。「寛文事件」とも呼ばれています。幼少の藩主・綱村の後見役である伊達宗勝らの専横に対し、伊達安芸らが幕府に訴え出ました。大老酒井忠清邸での審問中、原田甲斐が伊達安芸を斬殺し、自身も討たれるという衝撃的な刃傷沙汰で幕を閉じました。

伊達騒動の詳細を見る »
加賀騒動
🏯 歴史
📍 石川県 金沢市

加賀騒動

(かがそうどう)

江戸時代中期、加賀藩前田家で起きたお家騒動です。藩主前田吉徳の死後、実権を握った大槻伝蔵と、保守派の重臣前田直躬らの対立が激化しました。吉徳の側室真如院による藩主重煕への毒殺未遂疑惑が発覚し、大槻伝蔵は失脚して配所で自害し、真如院も幽閉されたのち命を落としました。悲劇的な結末で知られています。

加賀騒動の詳細を見る »
黒田騒動
🏯 歴史
📍 福岡県 福岡市

黒田騒動

(くろだそうどう)

江戸時代前期、福岡藩黒田家で起きたお家騒動です。「栗山大膳事件」とも呼ばれます。藩主黒田忠之の放蕩と側近重用に危機感を抱いた筆頭家老・栗山大膳が、藩主の謀反を幕府に訴え出るという前代未聞の行動に出ました。結果、大膳は配流となりましたが、藩は改易を免れました。忠義の行いとして伝わっています。

黒田騒動の詳細を見る »

❓ 日本三大お家騒動のよくある質問

Q.日本三大お家騒動で最も早く起きたのはどれですか?

A.最も早いのは黒田騒動です。栗山大膳が藩主黒田忠之を幕府へ訴え出たのは寛永9年(1632年)でした。伊達騒動は寛文11年(1671年)の刃傷で知られ、加賀騒動は延享2年(1745年)に前田吉徳が病没したあとに起きた江戸時代中期の騒動です。

Q.黒田騒動と伊達騒動で藩は取り潰されたのですか?

A.どちらも藩は取り潰されませんでした。黒田騒動では将軍徳川家光の裁定で忠之は咎めなしとなり所領を安堵され、伊達騒動でも伊達家は綱村が幼少であるとして存続を許されました。一方で栗山大膳は南部家へ預けられ、伊達兵部宗勝は流罪となっています。

Q.日本三大お家騒動はどんな芝居や小説の題材になりましたか?

A.三つとも芝居の題材として知られます。加賀騒動は人形浄瑠璃や歌舞伎の『加々見山旧錦絵』に、伊達騒動は歌舞伎『伽羅先代萩』になりました。黒田騒動は歌舞伎や講談の演目として盛んに演じられ、森鷗外が歴史小説『栗山大膳』を書き残しています。

Q.伊達騒動の原田甲斐の評価はなぜ変わったのですか?

A.山本周五郎の小説『樅ノ木は残った』が、藩の取り潰しを防ぐためにあえて汚名を着た人物として描いたからです。原田甲斐は『伽羅先代萩』の悪役仁木弾正のモデルとされ長く逆臣とみなされてきましたが、昭和45年(1970年)の大河ドラマ化で評価が一変しました。

Q.加賀騒動の大槻伝蔵は今どのように評価されていますか?

A.近年の研究では、藩財政再建の功労者と評価されています。伝蔵は足軽の家に生まれ、6代藩主の前田吉徳に取り立てられて改革を進めました。騒動の核心となった毒殺未遂事件も、大槻派を一掃するための作り事だったとみる説が有力です。

📍 所在地マップ

岐阜県新潟県長野県福島県213加賀騒動伊達騒動黒田騒動200 km地図データ: Natural Earth
  1. 1加賀騒動Google マップ
  2. 2伊達騒動Google マップ
  3. 3黒田騒動Google マップ