日本三大水攻め

日本三大水攻め

戦国時代、城攻めにおいて水を用いた大規模な戦術が「水攻め」です。特に豊臣秀吉や石田三成による水攻めは有名で、地形を巧みに利用し、堤防を築いて城を水没させるという驚くべき策がとられました。これら「日本三大水攻め」の舞台となった城跡は、現在もその歴史を伝えています。

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忍城
🏯 歴史
📍 埼玉県 行田市

忍城

(おしじょう)

天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐で、石田三成を大将とする豊臣勢の水攻めに耐え抜いた「浮き城」です。利根川や荒川の水を引き込む長大な堤が築かれましたが、城は沈まず、小田原城の開城まで持ちこたえました。水攻めは三成自身の発案ではなく秀吉の指示によるとする見方も有力です。映画「のぼうの城」の舞台として有名で、関東七名城の一つにも数えられます。

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太田城
🏯 歴史
📍 和歌山県 和歌山市

太田城

(おおたじょう)

豊臣秀吉による紀州征伐の際、水攻めが行われた城です。有力な国人集団・雑賀衆の拠点で、秀吉軍の猛攻に対し激しい抵抗を見せました。紀ノ川の水を引き込んで行われた水攻めは、備中高松城、忍城と並び日本三大水攻めの一つに数えられます。

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備中高松城
🏯 歴史
📍 岡山県 岡山市

備中高松城

(びっちゅうたかまつじょう)

豊臣秀吉による水攻めで知られる城です。備中高松城の戦いでは、わずか12日間で約3kmに及ぶ堤防を築いて城を水没させるという奇策が用いられました。城主・清水宗治の切腹により開城となり、この戦いは秀吉の「中国大返し」のきっかけともなりました。現在は歴史公園として整備されています。

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❓ 日本三大水攻めのよくある質問

Q.日本三大水攻めのうち最も古いのはどれですか?

A.最も古いのは備中高松城の水攻めで、天正十年(1582年)に羽柴秀吉が行いました。続いて天正十三年(1585年)に紀州の太田城、天正十八年(1590年)に小田原征伐の際の忍城で水攻めが行われています。太田城の水攻めは備中高松城で成功させた戦術を、さらに大規模な包囲戦へ応用した例として知られます。

Q.日本三大水攻めで落城しなかった城はありますか?

A.忍城は水攻めを受けても落城しませんでした。城は沈まず、増水で堤が決壊して寄せ手の側に被害が出たとも伝えられ、本城の小田原城が開城するまで持ちこたえました。一方、備中高松城は城主・清水宗治の切腹、太田城は太田左近ら五十余名の自刃によって、城内の人々の助命と引き換えに戦いを終えたと伝わります。

Q.日本三大水攻めで築かれた堤はどれくらいの規模でしたか?

A.伝えられる堤の長さは、太田城が総延長七キロメートル近くと最も長く、高さは四から六メートルほどでした。備中高松城の堤は記録によって差があるものの長さ約三キロメートル、高さ七メートル前後とされ、わずか十二日ほどで完成させたとされます。忍城でも周囲に長大な堤が築かれ、堤の名残と伝わる石田堤の史跡が点在しています。

Q.日本三大水攻めの城跡はどれくらい離れていますか?

A.城跡は岡山県・埼玉県・和歌山県にあります。直線距離では、備中高松城と太田城が約140kmと比較的近く、太田城と忍城が約440km、備中高松城と忍城が約540km離れています。備中高松城は高松城址公園、忍城は忍城址公園として整備され、太田城は来迎寺の境内に城址を示す碑が建っています。

Q.忍城の水攻めは石田三成の発案だったのですか?

A.はっきりしていません。忍城では攻め手の大将となった石田三成が、備中高松城の先例にならって水攻めを行ったと伝えられています。ただし三成が水攻めを自ら望んだかどうかには諸説あり、豊臣秀吉の指示によるものとする見方も近年は有力になっています。

📍 所在地マップ

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