【概要】
豊臣秀吉による紀州征伐の際、水攻めが行われた城。有力な国人集団・雑賀衆の拠点で、秀吉軍の猛攻に対し激しい抵抗を見せました。紀ノ川の水を引き込んで行われた水攻めは、備中高松城、忍城と並び日本三大水攻めの一つに数えられます。
【紀州征伐の激戦地】
和歌山県和歌山市にあった太田党(雑賀衆の一部)の拠点で、1585年の豊臣秀吉による紀州征伐の際に大規模な水攻めが行われました。約5000の太田党などが立てこもる太田城を、秀吉は10万の大軍で包囲し、紀ノ川の水を引き込むために約6kmにも及ぶ堤防を築いて水攻めにしました。備中高松城、忍城と並ぶ、日本三大水攻めの一つに数えられています。
【壮絶な籠城戦】
城内では1ヶ月近くにわたる激しい籠城戦が繰り広げられましたが、水による衛生環境の悪化や食料不足、援軍の望みが絶たれたことにより、最終的には開城・降伏しました。この戦いで多くの犠牲者が出たと伝えられており、近くの来迎寺には、この戦いで亡くなった人々を供養するための「太田城水攻め犠牲者供養塔」が建てられています。
【今は住宅地に】
現在、城跡の大部分は住宅地となっており、当時の面影はほとんど残っていませんが、来迎寺(らいこうじ)の周辺に土塁の一部が残されています。また、かつての堤防跡とされる場所も一部確認されており、「小山塚(こやまづか)」などの史跡として整備されています。秀吉の天下統一事業の厳しさと、それに抵抗した人々の魂を静かに今に伝えています。
📅 最終更新: 2026/1/4




