太田城

(おおたじょう)
📍 和歌山県 和歌山市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

豊臣秀吉による紀州征伐の際、水攻めが行われた城。有力な国人集団・雑賀衆の拠点で、秀吉軍の猛攻に対し激しい抵抗を見せました。紀ノ川の水を引き込んで行われた水攻めは、備中高松城、忍城と並び日本三大水攻めの一つに数えられます。

【歴史】

太田城は紀ノ川下流の平野に築かれた城で、天正四年(1576年)ごろに土豪の太田左近が修築したと伝わります。天正十三年(1585年)、豊臣秀吉は十万ともいわれる大軍を紀州へ差し向け、雑賀衆や根来衆の討伐に乗り出しました。抵抗を続けた太田党は五千余りでこの城に立てこもり、力攻めの損害を避けたい秀吉は、堤防を築いて紀ノ川の水を引き込む水攻めへと切り替えたとされています。

【特徴】

太田城を囲むために築かれた堤は、高さ四から六メートルほど、総延長は七キロメートル近くに及んだと伝えられ、備中高松城、忍城と並ぶ日本三大水攻めの一つに数えられています。籠城はおよそ一か月続きましたが、水に囲まれたことによる衛生環境の悪化と兵糧の不足、援軍の望みが絶たれたことで力尽き、最後は太田左近ら五十余名が自刃することで城内の人々の助命が認められたと伝わります。

【見どころ】

和歌山県和歌山市にある城跡の大部分は住宅地となり、往時の姿はほとんど残っていません。それでも本丸の中心と伝わる来迎寺の境内には城址を示す碑が建ち、水攻めの犠牲者を供養する塔も安置されています。近くには自刃した将兵の首を葬ったとされる小山塚が残り、住宅の間の静かな一角で往時をしのぶことができます。堤の跡と伝わるわずかな起伏も、注意深く歩けば感じ取れます。

【トリビア】

太田城の水攻めは、秀吉が備中高松城で成功させた戦術を、さらに大規模な包囲戦へ応用した例として知られています。地元では今も犠牲者の供養が続けられ、来迎寺では法要が営まれてきました。この戦いののち紀州は秀吉の支配下に入り、まもなく和歌山城の築城が始まります。抵抗した人々の記憶は寺社の縁起や地名として受け継がれ、静かに語り伝えられてきました。

📅 最終更新: 2026/9/6
太田城
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です