日本三大花街(にほんさんだいはなまち)は、江戸時代に幕府公認などにより特別に繁栄した3つの大規模な遊里、江戸の吉原、京都の島原、長崎の丸山を指します。これらは単なる遊興の場に留まらず、独自の文化や芸術、流行の発信地として、当時の日本文化に多大な影響を与えました。
A.島原(京都)がもっとも古く、天正十七年(1589年)に豊臣秀吉の許可を得て開かれた二条柳町が始まりとされます。吉原(江戸)は元和三年(1617年)、丸山(長崎)は寛永十九年(1642年)に、それぞれ市中の遊女屋を集めて開かれました。
A.島原(京都)は、和歌や俳諧、茶の湯が交わされる文化のサロンとしての性格を強く持っていた点が異なります。頂点に立つ太夫は歌舞音曲から書、茶道、和歌までを修めた教養人でした。客をもてなす揚屋と、太夫や芸妓が籍を置く置屋とが役割をはっきり分けていたことも特徴です。
A.鎖国のもとで唯一海外に開かれていた港町にあったためです。丸山(長崎)の遊女には、日本人を相手にする者のほかに、唐人屋敷へ通う唐人行き、出島のオランダ商館へ通う阿蘭陀行きという区別がありました。座敷は砂糖やギヤマンといった舶来の品で飾られたといいます。
A.吉原(江戸)は昭和三十三年の売春防止法の完全施行によって、三百四十年余りの歴史を閉じました。丸山(長崎)は昭和三十一年に幕を下ろしています。島原(京都)は昭和五十一年に京都花街組合連合会を脱会しましたが、太夫道中などの独自の作法は現在も受け継がれています。
A.三か所とも往時をしのぶ場所が残っています。吉原(江戸)の跡地には見返り柳や吉原大門の跡、島原(京都)には京都市の登録有形文化財の島原大門と国の重要文化財の角屋があります。丸山(長崎)では料亭花月が江戸期の座敷を今に伝えています。