日本三大仇討ち(にほんさんだいあだうち)は、日本の歴史上で特に有名な3つの復讐劇を指します。鎌倉時代の「曽我兄弟の仇討ち」、江戸時代初期の「鍵屋の辻の決闘(伊賀越えの仇討ち)」、そして江戸時代中期の「元禄赤穂事件(忠臣蔵)」です。これらは歌舞伎や講談、映画やドラマの題材として語り継がれ、日本人の心情に深く刻まれています。
A.最も古いのは鎌倉時代の曽我兄弟の仇討ちで、建久4年(1193年)に源頼朝の富士の巻狩りの陣中で起きました。鍵屋の辻の決闘は江戸時代初期の寛永11年(1634年)、元禄赤穂事件は江戸時代中期の出来事で、元禄14年(1701年)の江戸城松の廊下での刃傷に始まります。
A.曽我兄弟の仇討ちでは、曽我祐成・時致の兄弟が父の仇の工藤祐経を討ちました。鍵屋の辻の決闘では、渡辺数馬が義兄の荒木又右衛門の助太刀を得て弟の仇の河合又五郎を討ちました。元禄赤穂事件では、大石内蔵助ら旧赤穂藩士が主君の浅野長矩の無念を晴らすため吉良上野介義央を討ちました。
A.講談などで広まった脚色とされます。記録上、鍵屋の辻の決闘で又右衛門が斬ったのは河合甚左衛門と桜井半兵衛の2人とされています。又右衛門はこの事件を題材にした浄瑠璃や歌舞伎『伊賀越道中双六』を通じて名を広め、映画やドラマの主役にもなりました。
A.いずれも芝居の題材として語り継がれています。曽我兄弟の仇討ちは『曽我物語』から「曽我物」という一大ジャンルを生み、『寿曽我対面』は今も正月の定番演目です。鍵屋の辻の決闘は『伊賀越道中双六』に、元禄赤穂事件は『仮名手本忠臣蔵』として人形浄瑠璃や歌舞伎に脚色されました。
A.曽我兄弟の仇討ちは静岡県富士宮市、鍵屋の辻の決闘は三重県伊賀市の鍵屋の辻史跡公園、元禄赤穂事件は東京都墨田区両国の本所松坂町公園が舞台です。直線距離では富士宮市と墨田区が約110km、富士宮市と伊賀市が約240km、伊賀市と墨田区が約350km離れています。