吉原(江戸)

(よしわら)
📍 東京都 台東区🏯 歴史🎭 文化📦 その他

【概要】

日本橋人形町から移転し、江戸時代を通じて最大の公認遊郭として栄えた地区。「北国(ほっこく)」とも呼ばれ、約2万坪の敷地に周囲を「お歯黒どぶ」で囲み、大門を唯一の出入り口としました。華やかな江戸文化の象徴的な場所です。

【歴史】

吉原(江戸)は、元和三年(1617年)に小田原出身の庄司甚右衛門が幕府の許しを得て、市中に散らばっていた遊女屋を日本橋の葺屋町へ集めたことに始まる公認の遊郭です。明暦三年の大火をきっかけに浅草寺の北側にあたる日本堤の地へ移され、以後は新吉原と呼ばれて幕末まで栄えました。昭和三十三年の売春防止法の完全施行によって、三百四十年余りに及ぶ歴史を閉じています。

【特徴】

移転後の新吉原は、およそ二万坪という広大な区画をお歯黒どぶと呼ばれる堀と塀で囲み、出入口を大門一か所だけに限った閉ざされた町でした。堀は遊女の逃亡を防ぐために設けられたもので、遊女が使ったお歯黒を捨てたことからこの名がついたと伝わります。町の内側には妓楼や引手茶屋が軒を連ね、最高位の遊女である花魁を頂点として、厳しい序列と細かな作法が長く保たれていました。

【見どころ】

現在は東京都台東区にある千束周辺の一帯がその跡地にあたり、往時をしのぶ手がかりが点々と残されています。五十間道の入口に立つ見返り柳は、帰る客が名残を惜しんで振り返った場所と伝えられ、その近くには吉原大門の跡や、お歯黒どぶの石垣跡も見ることができます。身寄りのない遊女を葬った浄閑寺や、遊郭の鎮守だった吉原神社をたどる歴史散策のコースも人気を集めています。

【トリビア】

吉原は単なる遊興の場ではなく流行の発信地でもあり、遊女の装いや髪型は江戸の女性たちの手本になったといいます。案内書である吉原細見は版元の蔦屋重三郎が手がけて評判を取り、喜多川歌麿らの浮世絵にも遊郭の情景が数多く描かれています。近くに暮らした樋口一葉は、この町を舞台にした小説「たけくらべ」を残し、遊郭を背景に生きる少年少女の姿を鮮やかに描き出しました。

📅 最終更新: 2026/9/6
吉原(江戸)
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です