日本三大ドヤ街

日本三大ドヤ街

日本三大ドヤ街(にほんさんだいどやがい)は、高度経済成長期の日本を底辺から支えた日雇い労働者が集住した3つの地域、大阪のあいりん地区(釜ヶ崎)、東京の山谷、横浜の寿町を指します。「ドヤ」とは「宿(ヤド)」の逆さ読みで、簡易宿泊所が密集していたことに由来します。現在は福祉の街や外国人バックパッカーの街へと変貌しつつあります。

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山谷
🏯 歴史🎭 文化
📍 東京都 台東区

山谷

(さんや)

台東区と荒川区にまたがる地域です。かつては「寄せ場」として多くの労働者が集まりましたが、現在は簡易宿泊所が外国人バックパッカー向けのホステルへと転用されるなど、国際的な安宿街として知られるようになっています。「あしたのジョー」の舞台としても有名です。

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寿町
🏯 歴史🎭 文化
📍 神奈川県 横浜市

寿町

(ことぶきちょう)

神奈川県横浜市中区にある、戦後の接収解除後に形成されたドヤ街です。200メートルから300メートル四方ほどの狭いエリアに120軒を超える簡易宿泊所が密集し、日本三大ドヤ街のなかでも面積の小ささと人口密度の高さが際立ちます。現在は住民の高齢化が進み、福祉の充実した街としての取り組みが進められています。横浜中華街や元町にも近い立地です。

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あいりん地区(釜ヶ崎)
🏯 歴史🎭 文化
📍 大阪府 大阪市

あいりん地区(釜ヶ崎)

(あいりんちく)

大阪府大阪市西成区の北東部、JR新今宮駅の南側に広がる、日本最大級の日雇い労働者の街です。明治期以降に木賃宿の街として形づくられ、戦後は全国有数のドヤ街として知られました。かつては暴動なども発生しましたが、現在は行政とNPOによる支援が進み、福祉の街としての側面が強まっています。安価な宿泊施設が多いことから、海外からの旅行者も増加しています。

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❓ 日本三大ドヤ街のよくある質問

Q.日本三大ドヤ街の「ドヤ」とはどういう意味ですか?

A.「ドヤ」は「宿」を逆さに読んだ言葉です。旅館業法にいう簡易宿所が密集する街であることから、こうした簡易宿泊所が集まる一帯がドヤ街と呼ばれるようになりました。あいりん地区(釜ヶ崎)、山谷、寿町の三つがその代表とされます。

Q.日本三大ドヤ街の三つの地区は、どのように形づくられたのですか?

A.三つとも戦後、労働者のための簡易宿泊所が集まる寄せ場になりました。あいりん地区は明治期以降の木賃宿の街が大阪大空襲の後に再出発し、山谷は江戸時代から木賃宿が集まった一帯に戦後労働者が流入しました。寿町は昭和30年(1955年)の接収解除後に簡易宿泊所が建てられていきました。

Q.日本三大ドヤ街は、現在どのような街になっていますか?

A.三つとも住民の高齢化が進み、労働者の街から福祉の色合いが濃い街へと変わってきました。あいりん地区では行政やNPOによる生活支援が大きな役割を担い、山谷では簡易宿泊所を改装した外国人旅行者向けのホステルが増え、寿町でもゲストハウスや飲食店が生まれています。

Q.「釜ヶ崎」や「山谷」は、今も正式な地名ですか?

A.どちらも現在は正式な地名ではありません。釜ヶ崎は町名の整理で公式の地図から姿を消し、今は萩之茶屋や太子といった町名が用いられています。山谷も昭和41年(1966年)の住居表示で地名としては消えましたが、どちらの呼び名も今も使われ続けています。

Q.日本三大ドヤ街には、かつてどれくらいの人が暮らしていたのですか?

A.いずれも数千人から数万人規模の人が暮らしていたとされます。あいりん地区では昭和61年(1986年)に2万4000人を超える労働者が、山谷では昭和38年(1963年)に222軒の簡易宿泊所におよそ1万5000人が寝泊まりし、寿町では平成19年度に122軒、8685室に6301人が暮らしていました。

📍 所在地マップ

愛知県岐阜県京都府群馬県埼玉県三重県山梨県滋賀県静岡県石川県長野県栃木県奈良県富山県231あいりん地区(釜ヶ崎)山谷寿町50 km地図データ: Natural Earth
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