日本三大ドヤ街(にほんさんだいどやがい)は、高度経済成長期の日本を底辺から支えた日雇い労働者が集住した3つの地域、大阪のあいりん地区(釜ヶ崎)、東京の山谷、横浜の寿町を指します。「ドヤ」とは「宿(ヤド)」の逆さ読みで、簡易宿泊所が密集していたことに由来します。現在は福祉の街や外国人バックパッカーの街へと変貌しつつあります。
A.「ドヤ」は「宿」を逆さに読んだ言葉です。旅館業法にいう簡易宿所が密集する街であることから、こうした簡易宿泊所が集まる一帯がドヤ街と呼ばれるようになりました。あいりん地区(釜ヶ崎)、山谷、寿町の三つがその代表とされます。
A.三つとも戦後、労働者のための簡易宿泊所が集まる寄せ場になりました。あいりん地区は明治期以降の木賃宿の街が大阪大空襲の後に再出発し、山谷は江戸時代から木賃宿が集まった一帯に戦後労働者が流入しました。寿町は昭和30年(1955年)の接収解除後に簡易宿泊所が建てられていきました。
A.三つとも住民の高齢化が進み、労働者の街から福祉の色合いが濃い街へと変わってきました。あいりん地区では行政やNPOによる生活支援が大きな役割を担い、山谷では簡易宿泊所を改装した外国人旅行者向けのホステルが増え、寿町でもゲストハウスや飲食店が生まれています。
A.どちらも現在は正式な地名ではありません。釜ヶ崎は町名の整理で公式の地図から姿を消し、今は萩之茶屋や太子といった町名が用いられています。山谷も昭和41年(1966年)の住居表示で地名としては消えましたが、どちらの呼び名も今も使われ続けています。
A.いずれも数千人から数万人規模の人が暮らしていたとされます。あいりん地区では昭和61年(1986年)に2万4000人を超える労働者が、山谷では昭和38年(1963年)に222軒の簡易宿泊所におよそ1万5000人が寝泊まりし、寿町では平成19年度に122軒、8685室に6301人が暮らしていました。