日本五大名飯は、埼玉県小川町の忠七めし、東京・深川の深川めし、岐阜県のさよりめし、大阪のかやくめし(かやくご飯)、島根県津和野町のうずめ飯の五つを指す呼び名で、「日本五大銘飯」とも書かれます。1939年(昭和14年)に宮内省(現在の宮内庁)が全国の郷土料理を調べた際、代表的なご飯料理として選んだものとされます。茶漬け風に熱い汁を注ぐもの、具と炊き込むものと食べ方はさまざまで、土地ごとの暮らしの知恵が表れています。
A.1939年(昭和14年)に、宮内省(現在の宮内庁)が全国の郷土料理を調べた際、代表的なご飯料理として選んだものとされます。選ばれたのは忠七めし、深川めし、さよりめし、かやくご飯、うずめ飯の五つです。かやくご飯は、「かやくめし」の名で大阪の難波地方の料理として挙げられたとされます。
A.大きく分けて、熱い汁を注ぐ茶漬け風のものと、具と米を炊き込むものがあります。忠七めしとうずめ飯は熱いつゆやだしを注ぐ茶漬け風、さよりめしとかやくご飯は具を米と一緒に炊き込むご飯です。深川めしには、アサリを汁ごとご飯にかけるぶっかけと、米と炊き込む炊き込みの二つの型があります。
A.忠七めしは考案者の八木忠七にちなむとされ、うずめ飯は具をご飯にうずめる様子に由来します。かやくご飯の「かやく」は、漢方で主となる薬の働きを助ける補助の薬「加薬」に由来するとされます。さよりめしは、海から遠い土地で細長い魚をまとめて「さより」と呼んだことによるとされ、実際に使うのはサンマです。
A.忠七めしは、山岡鉄舟の言葉がきっかけで生まれたとされる料理です。割烹旅館「二葉」をひいきにしていた鉄舟から、料理に禅の味わいを盛ってはどうかと示唆を受けた八代目当主の八木忠七が、江戸時代の末期に考えたとされます。わさびは剣、海苔は禅、柚子は書を表すと説明され、鉄舟が究めた三つの道が一杯に見立てられています。名付け親を鉄舟とする紹介もあります。
A.五つは埼玉県・東京都・岐阜県・大阪府・島根県に一つずつあります。直線距離で最も近いのは忠七めしの小川町と深川めしの江東区で約60km、最も離れているのは深川めしの江東区とうずめ飯の津和野町で約740kmです。さよりめしの可児市とかやくご飯の大阪市は約160km離れています。