六歌仙

六歌仙

六歌仙は、紀貫之が『古今和歌集』の仮名序で、近い時代に名の知られた歌人として名を挙げた在原業平・小野小町・僧正遍昭・文屋康秀・喜撰法師・大友黒主の六人を指します。貫之は六人の歌風を一人ずつ短い比喩で評しましたが、仮名序そのものに六歌仙という言葉はなく、この呼び名は後の時代に定着したとされます。小町の随心院や業平の十輪寺など、京都や近江にはゆかりの地が今も残っています。

日本名数>六歌仙
文屋康秀
🎭 文化🏯 歴史
📍 愛知県 豊川市

文屋康秀

(ふんやのやすひで)

文屋康秀は、平安時代前期の歌人で、生没年は伝わっていません。縫殿助や三河掾などを務めた中下級の官人で、子の文屋朝康も歌人として知られます。三河掾として任国へ下る際に小野小町を誘い、小町が歌で答えたという話が『古今和歌集』の詞書に残ります。愛知県豊川市にある三河国府跡は、康秀が掾として赴いたとされる三河国の国府があった場所です。

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大友黒主
🎭 文化🏯 歴史
📍 滋賀県 大津市

大友黒主

(おおとものくろぬし)

大友黒主は、平安時代前期の歌人で、大伴黒主とも書かれます。近江国滋賀郡を本拠とした大友村主の一族の出身と伝わり、六歌仙の中では最も後の時代まで活動したとされます。百人一首には歌が選ばれていませんが、『古今和歌集』などに歌が残ります。滋賀県大津市にある黒主神社は、黒主を祀る小さな神社として地元に伝わっています。

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在原業平
🎭 文化🏯 歴史
📍 京都府 京都市西京区

在原業平

(ありわらのなりひら)

在原業平は、天長2年(825年)に平城天皇の皇子である阿保親王の子として生まれた平安時代前期の歌人です。在原の姓を賜って臣籍に下り、在五中将とも呼ばれました。『伊勢物語』の主人公の「男」は業平がモデルとされます。京都府京都市西京区にある十輪寺は業平が晩年を過ごしたと伝わる寺で、なりひら寺の名で親しまれています。

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小野小町
🎭 文化🏯 歴史
📍 京都府 京都市山科区

小野小町

(おののこまち)

小野小町は、平安時代前期に活躍した女性の歌人で、六歌仙の中でただ一人の女性です。生没年や生涯ははっきりせず、出羽国の生まれとする話をはじめ、各地に多くの伝説が残ります。恋の歌に優れ、絶世の美女として後世の能や物語にも描かれました。京都府京都市山科区にある随心院は小野氏ゆかりの地に建ち、小町が晩年を過ごした邸宅の跡と伝わります。

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僧正遍昭
🎭 文化🏯 歴史
📍 京都府 京都市山科区

僧正遍昭

(そうじょうへんじょう)

僧正遍昭は、弘仁7年(816年)に桓武天皇の孫として生まれた平安時代前期の歌人であり僧侶です。俗名を良岑宗貞といい、仁明天皇に仕えて蔵人頭まで進みましたが、天皇の崩御を機に出家しました。のちに僧正の位にのぼり、花山僧正とも呼ばれます。京都府京都市山科区にある元慶寺は、遍昭が開いた寺として知られています。

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喜撰法師
🎭 文化🏯 歴史
📍 京都府 宇治市

喜撰法師

(きせんほうし)

喜撰法師は、平安時代前期の歌僧で、六歌仙の中でも最も謎の多い人物です。生没年も経歴も伝わらず、確かな作は『古今和歌集』に収められた「わが庵は」の一首だけとされます。宇治山に庵を結んで暮らしたと伝わり、京都府宇治市にある喜撰山はその名にちなむ山です。歌に詠まれた世をうぢ山という言葉から、宇治と喜撰の結びつきは今も語り継がれています。

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❓ 六歌仙のよくある質問

Q.六歌仙の六人は、誰がどのように選んだのですか?

A.六歌仙は、紀貫之が『古今和歌集』の仮名序で、近い時代に名の知られた歌人として名を挙げた六人です。貫之は六人の歌風を一人ずつ短い比喩で評しました。ただし仮名序そのものに六歌仙という言葉はなく、この呼び名は後の時代に定着したとされます。

Q.紀貫之は六歌仙の歌風をそれぞれどう評しましたか?

A.紀貫之は仮名序で、在原業平を「その心余りて言葉足らず」、小野小町を「あはれなるやうにて強からず」、僧正遍昭を「歌のさまは得たれども、まこと少なし」、文屋康秀を「言葉はたくみにて、そのさま身に負はず」、喜撰法師を「言葉かすかにして、始め終り確かならず」、大友黒主を「そのさまいやし」と評しました。それぞれに短い比喩も添えています。

Q.六歌仙のうち、百人一首に歌が選ばれているのは誰ですか?

A.六歌仙のうち、大友黒主を除く五人の歌が百人一首に選ばれています。在原業平の「ちはやぶる」、小野小町の「花の色は」、僧正遍昭の「天つ風」、文屋康秀の「吹くからに」、喜撰法師の「わが庵は」です。ただし「吹くからに」は子の文屋朝康の作とする説もあります。

Q.六歌仙の小野小町と文屋康秀にはどんな関わりがありますか?

A.文屋康秀が三河掾として任国へ下る際に小野小町を誘い、小町が歌で答えたという話が『古今和歌集』の詞書に残ります。小町の返歌は「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」で、浮き草のような身なので誘う水があれば行こうと思う、という歌です。二人の親しさがうかがえるやりとりです。

Q.六歌仙ゆかりの地はどこにありますか?

A.六歌仙ゆかりの地は京都府・愛知県・滋賀県の3府県にあります。京都府には在原業平の十輪寺、小野小町の随心院、僧正遍昭の元慶寺、喜撰法師の喜撰山があり、滋賀県大津市には大友黒主の黒主神社、愛知県豊川市には文屋康秀の三河国府跡があります。直線距離では随心院と元慶寺が約4km、三河国府跡はほかの各地から約140〜150km離れています。

📍 所在地マップ

岐阜県三重県静岡県大阪府長野県奈良県福井県兵庫県和歌山県632154在原業平文屋康秀喜撰法師大友黒主50 km地図データ: Natural Earth
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