六歌仙は、紀貫之が『古今和歌集』の仮名序で、近い時代に名の知られた歌人として名を挙げた在原業平・小野小町・僧正遍昭・文屋康秀・喜撰法師・大友黒主の六人を指します。貫之は六人の歌風を一人ずつ短い比喩で評しましたが、仮名序そのものに六歌仙という言葉はなく、この呼び名は後の時代に定着したとされます。小町の随心院や業平の十輪寺など、京都や近江にはゆかりの地が今も残っています。
A.六歌仙は、紀貫之が『古今和歌集』の仮名序で、近い時代に名の知られた歌人として名を挙げた六人です。貫之は六人の歌風を一人ずつ短い比喩で評しました。ただし仮名序そのものに六歌仙という言葉はなく、この呼び名は後の時代に定着したとされます。
A.紀貫之は仮名序で、在原業平を「その心余りて言葉足らず」、小野小町を「あはれなるやうにて強からず」、僧正遍昭を「歌のさまは得たれども、まこと少なし」、文屋康秀を「言葉はたくみにて、そのさま身に負はず」、喜撰法師を「言葉かすかにして、始め終り確かならず」、大友黒主を「そのさまいやし」と評しました。それぞれに短い比喩も添えています。
A.六歌仙のうち、大友黒主を除く五人の歌が百人一首に選ばれています。在原業平の「ちはやぶる」、小野小町の「花の色は」、僧正遍昭の「天つ風」、文屋康秀の「吹くからに」、喜撰法師の「わが庵は」です。ただし「吹くからに」は子の文屋朝康の作とする説もあります。
A.文屋康秀が三河掾として任国へ下る際に小野小町を誘い、小町が歌で答えたという話が『古今和歌集』の詞書に残ります。小町の返歌は「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」で、浮き草のような身なので誘う水があれば行こうと思う、という歌です。二人の親しさがうかがえるやりとりです。
A.六歌仙ゆかりの地は京都府・愛知県・滋賀県の3府県にあります。京都府には在原業平の十輪寺、小野小町の随心院、僧正遍昭の元慶寺、喜撰法師の喜撰山があり、滋賀県大津市には大友黒主の黒主神社、愛知県豊川市には文屋康秀の三河国府跡があります。直線距離では随心院と元慶寺が約4km、三河国府跡はほかの各地から約140〜150km離れています。