琉球八社は、琉球王国の王府が特別の扱いをした八つの神社の総称です。筆頭の波上宮に沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・安里八幡宮・天久宮・金武宮を加えた顔ぶれで、うち七社は紀伊の熊野三山の神を迎えた社であり、安里八幡宮だけが八幡神を祀ります。洞窟や鍾乳洞を神域とする社が多く、島の古い祈りと熊野信仰が重なった姿を今に伝えます。

(なみのうえぐう)
波上宮は、沖縄県那覇市にある琉球石灰岩の断崖の上に鎮座する神社で、琉球八社の筆頭に置かれ、琉球国第一の神社と仰がれてきました。海のかなたの理想郷ニライカナイへ祈りを寄せた聖地に始まり、のちに熊野権現を迎えて歴代の王府から篤い崇敬を集めました。沖縄戦では鳥居を残して焼け落ちましたが、戦後に社殿が順に再建され、いまも波の上の崖に朱塗りの姿を見せています。
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(おきのぐう)
沖宮は、沖縄県那覇市にある奥武山の一角に鎮座する琉球八社の一社です。那覇港の海中から光を放つ霊木が上がり、これを熊野権現の霊木として社を建てたという由緒を伝えます。港の築港工事や戦災のたびに場所を移し、いまの奥武山公園内に落ち着いたのは昭和五十年のことでした。天受久女龍宮王御神を主祭神として祀り、海と港の守り神として親しまれています。
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(しきなぐう)
識名宮は、沖縄県那覇市にある繁多川の高台に鎮座する琉球八社の一社です。識名の洞窟での祈願によって王子の病が癒えたことから社が建てられたと伝えられ、もともとは洞窟のなかに神を祀っていました。十七世紀の後半に社殿が洞の外へ移されましたが、境内にはいまも洞窟の拝所が守られており、島の古い祈りの形をそのままとどめています。
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(ふてんまぐう)
普天満宮は、沖縄県宜野湾市にある沖縄本島中部で最も大きな神社で、琉球八社の一社に数えられます。社殿の裏手に口を開ける全長およそ二百八十メートルの鍾乳洞を神域とし、その奥に奥宮が祀られています。島の古い信仰の場に十五世紀なかばごろ熊野権現が合わせ祀られたと伝えられ、洞窟への祈りと熊野信仰が重なった姿をよく示す社です。
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(すえよしぐう)
末吉宮は、沖縄県那覇市にある首里の北の丘に鎮座する琉球八社の一社です。十五世紀なかばに熊野三神を勧請して開かれたと伝えられ、切石を積み上げた磴道とアーチ石橋が参道を上っていきます。本殿は沖縄戦で砕かれたのちに復元されましたが、拝殿は礎石を残すのみで、遺構と社殿が併存する独特の姿をいまにとどめています。
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(あさとはちまんぐう)
安里八幡宮は、沖縄県那覇市にある市街地の一画に鎮座する琉球八社の一社です。琉球八社のうちこの社だけが八幡神を祀り、ほかの七社が紀伊の熊野三山の神を迎えたのとは由緒を異にします。尚徳王が喜界島への遠征に際して戦勝を祈り、凱旋の誓いにこたえて建てたと伝えられ、弓矢と漂着した梵鐘の伝説を今に残しています。
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(あめくぐう)
天久宮は、沖縄県那覇市にある泊の崖地に鎮座する琉球八社の一社です。鳥居から参道の石段を下った先に社殿が構えられるという珍しい造りで、斜面の中腹には湧き水をたたえた小さな洞があります。貴婦人と僧が山から下りて洞に消え、熊野権現であると告げたという由緒を伝えており、熊野信仰を受け入れた琉球の社の一つです。
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(きんぐう)
金武宮は、沖縄県金武町にある金武観音寺の境内の地下に広がる鍾乳洞、日秀洞を神域とする琉球八社の一社です。地上に社殿を構えず、洞のなかに小さな祠が置かれているのが大きな特徴です。紀伊から漂着したと伝えられる日秀上人が熊野三所権現を勧請したという由緒をもち、八社のうち唯一、那覇と宜野湾から遠く離れて鎮座しています。
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