【概要】
識名宮は、沖縄県那覇市にある繁多川の高台に鎮座する琉球八社の一社です。識名の洞窟での祈願によって王子の病が癒えたことから社が建てられたと伝えられ、もともとは洞窟のなかに神を祀っていました。十七世紀の後半に社殿が洞の外へ移されましたが、境内にはいまも洞窟の拝所が守られており、島の古い祈りの形をそのままとどめています。
【歴史】
識名宮の由緒には、識名の村で夜ごと光るものがあり、大阿母志良礼が調べると洞窟のなかに神像があったという伝説が伝わります。尚元王の長男である尚康伯の病がこの地の祈願で癒えたことから、社と別当寺の神応寺が建てられたとされます。当初は洞窟内に鎮座しており、康熙十九年(1680年)に社殿が洞の外へ移されました。
【特徴】
祀られるのは熊野権現の神々で、あわせて土地の神も古くから拝まれてきました。普天満宮や金武宮と同じく洞窟を神域とする社であり、識名宮の境内では社殿の脇から洞窟の拝所へ下りることができます。周囲は住宅が建て込む台地の上ですが、石垣と亜熱帯の樹々に囲まれた一画は、町の気配から切り離されたような静けさを保っています。
【見どころ】
鳥居をくぐって進むと、コンクリートで建て直された社殿と、その傍らに口を開ける洞窟の拝所が向かい合います。洞のなかは薄暗く、石灰岩の壁に囲まれた空間そのものが信仰の対象であることが感じられます。識名宮の高台からは市街を見渡すことができ、王都首里と港町那覇のあいだに置かれた立地がよくわかります。石垣の積み方にも土地の技が残ります。
【トリビア】
識名宮の旧社殿は沖宮の本殿と似た古式の造りであったと伝えられますが、沖縄戦で焼失しました。現在の社殿は昭和四十三年(1968年)十二月に再建されたもので、戦前の建物は残っていません。すぐ近くには国の特別名勝である識名園がありますが、こちらは王家の別邸として造られた庭園であり、識名宮とは成り立ちの異なるまったく別の場所です。




