【概要】
名越切通は、鎌倉の東南で鎌倉市と逗子市の境の尾根を越え、三浦半島へ向かう道に設けられた切通しです。『吾妻鏡』に名越坂として登場し、幕府を支えた三浦一族の本拠へ通じる要の道でした。1966年に国の史跡に指定され、その後も区域が追加されています。人ひとりがやっと通れるほどの狭い切り通しや、岩をくりぬいた墓所が並ぶまんだら堂やぐら群など、中世の姿を色濃く残しています。
【歴史】
名越という地名は、山が険しく越えるのが難しい「難越」に由来するという説が知られています。名越切通は鎌倉と三浦半島を結ぶ道の峠にあたり、三浦一族の本拠へ向かう幕府の重要な出入口でした。周辺には北条氏の一門である名越氏の屋敷があったとされ、日蓮が草庵を結んだと伝わる松葉ヶ谷の寺々も、切通の鎌倉側のふもとに点在しています。
【特徴】
名越切通の道は尾根を何段にも掘り下げてつくられ、第一から第三までの切り通しを順に抜けていきます。いちばん狭い所は人がすれ違うのも難しいほどの幅しかなく、両側から削られた岩壁が迫ります。道の途中に残る大きな岩は置石と呼ばれ、敵の進軍を妨げるために置いたとする説と、崖から崩れ落ちた岩だとする説があります。
【見どころ】
切通の逗子市側の斜面に広がるまんだら堂やぐら群は、岩をくりぬいた中世の墓所が150穴以上も並ぶ壮観な場所です。保存のため公開は期間を限っており、その時期は年によって変わります。尾根の北東には切り立った崖が長く続くお猿畠の大切岸があり、尾根道を歩きながら、名越切通一帯の地形の険しさを体で確かめられます。
【トリビア】
お猿畠の大切岸は、かつて鎌倉を守るために崖を削った防御の跡と考えられていましたが、近年の発掘調査で14世紀ごろに石材を切り出した石切場の跡とわかりました。お猿畠という名は、法難を逃れた日蓮を白い猿が助けたという伝説にちなみます。名越切通の真下には明治時代に通じたJR横須賀線の名越トンネルが通り、新旧の道が上下に重なっています。
