【概要】
化粧坂は、扇ガ谷から源氏山の方面へ登る鎌倉七口の一つで、武蔵国へ向かう道の出入口でした。1969年に仮粧坂の名で国の史跡に指定され、『吾妻鏡』には気和飛坂の字でも登場します。1333年の新田義貞の鎌倉攻めでは激しい攻防の舞台となりました。ごつごつした岩が段のように連なる急坂を登りきると、源氏山公園のある尾根の上に出ます。
【歴史】
化粧坂は、鎌倉と武蔵国を結ぶ武蔵大路の出入口で、坂の上は鎌倉街道の上道へと続いていたと考えられています。1333年の鎌倉攻めでは新田義貞の本隊がこの方面から攻め込みましたが、幕府方の金沢貞将らの守りが固く、なかなか突破できませんでした。義貞はやがて西へ転じ、稲村ヶ崎を回って海沿いから鎌倉に攻め入ったと伝えられています。
【特徴】
化粧坂の路面は土と岩がむき出しで、岩の段差が階段のように続く区間があります。雨のあとは水が流れて滑りやすく、鎌倉七口のなかでも足元に気を配りたい坂です。周囲は谷戸の奥にあたり、木々が両側から枝を伸ばしているため、昼でもひんやりとした空気が漂います。道の跡は複数あり、鎌倉時代の正確な経路ははっきりしていません。
【見どころ】
化粧坂を登りきると、源頼朝の像が立つ源氏山公園に出ます。公園は桜の名所としても知られ、春には花見を楽しむ人でにぎわいます。近くには後醍醐天皇の側近で倒幕を企てた日野俊基を祀る葛原岡神社があり、そばには俊基の墓とされる宝篋印塔も残ります。化粧坂から源氏山を経て銭洗弁財天へ向かう道も、人気の散策ルートです。
【トリビア】
化粧坂という名の由来には諸説あります。討ち取った平家の武将の首をここで化粧して首実検したという説、坂の下に化粧をした遊女がいたという説、木々が茂って薄暗い気配から転じたという説などです。曾我兄弟の仇討ちを描いた物語には、弟の五郎と親しかった化粧坂の少将という遊女が登場し、坂の名は芝居の世界でも知られています。
