【概要】
巨福呂坂は、鶴岡八幡宮の裏手にあたる雪ノ下から、建長寺の門前の山ノ内へ抜けた鎌倉七口の一つです。小袋坂とも書かれ、鎌倉と武蔵方面を結ぶ北の出入口でした。1969年に国の史跡に指定されましたが、古い道は途中から私有地や崖となり、七口のなかでただ一つ通り抜けができません。現在は明治時代に開かれた新しい坂道を、車や人が行き交っています。
【歴史】
『吾妻鏡』には、1240年に北条泰時が山ノ内へ通じる道の工事を命じたとの記事があり、これを巨福呂坂の整備とみる説と、亀ヶ谷坂とみる説があります。山ノ内には北条得宗家の屋敷や建長寺・円覚寺が並び、巨福呂坂はそこと幕府の中心を最短で結ぶ道でした。1333年の新田義貞の鎌倉攻めでも、この坂は攻防の舞台の一つとなっています。
【特徴】
巨福呂坂の旧道は、鶴岡八幡宮の西側にある青梅聖天社のあたりから尾根を越え、建長寺の前へ下りていたとされます。現在の車道は1886年に新しく開かれたもので、旧道とは別の位置を通っています。旧道の入口付近には江戸時代の庚申塔などの石塔が残るものの、その先は私有地や切り立った崖となっていて行き止まりです。
【見どころ】
巨福呂坂を訪ねるなら、雪ノ下側の入口に立つ小さな青梅聖天社と、そこから延びる旧道の始まりを確かめてみましょう。新道をたどって坂を上りきると、建長寺の総門はすぐ目の前です。坂の名は建長寺の山号である巨福山にも取り入れられており、総門に掲げられた扁額の文字と見比べると、坂と寺の深い結びつきが、いっそう実感できるはずです。
【トリビア】
建長寺の総門に掲げられた巨福山の扁額は、元から渡来した僧の一山一寧の筆と伝えられます。巨の字には本来ない点が一つ加えられており、この一点が字全体を引き締めて百貫もの値打ちがあるとして、百貫点と呼ばれてきました。坂の表記も巨福呂、小袋、小布呂などさまざまで、表記の多さも、長く人々に呼びならわされてきた巨福呂坂ならではの特徴です。
