加賀騒動

(かがそうどう)
📍 石川県 金沢市🏯 歴史

【概要】

江戸時代中期、加賀藩前田家で起きたお家騒動。藩主前田吉徳の死後、実権を握った大槻伝蔵と、保守派の重臣前田直躬らの対立が激化。吉徳の側室真如院による藩主重煕への毒殺未遂疑惑が発覚し、大槻伝蔵は失脚・自殺、真如院も幽閉された。悲劇的な結末で知られる。

【歴史】

加賀騒動は、江戸時代中期に加賀藩前田家で起きた大規模なお家騒動です。財政難の藩を立て直すため、6代藩主の前田吉徳は足軽の家に生まれた大槻伝蔵を側近に取り立て、家老格にまで異例の出世をさせて改革を進めさせました。しかし延享2年(1745年)に吉徳が病没すると、伝蔵は看病の不手際を理由に翌年蟄居を命じられ、延享5年(1748年)には禄を没収されて越中五箇山へ流され、同年9月に配所で自ら命を絶ちます。

【特徴】

騒動の核心は、譜代の重臣である前田直躬ら門閥派と、新参の改革派だった大槻伝蔵との権力闘争にあったとされます。延享5年には8代藩主となった前田重煕らへの毒殺未遂事件が発覚し、吉徳の側室で伝蔵と通じたと噂された真如院が首謀者として捕らえられ、幽閉のうえ命を落としました。近年の研究では、この毒殺事件は大槻派を一掃するための作り事だったとみる説が有力で、伝蔵は藩財政再建の功労者と評価されています。

【見どころ】

加賀騒動の舞台となった加賀藩の城下は、石川県金沢市にあり、金沢城公園や兼六園として今も往時のたたずまいをしのばせます。広坂のしいのき迎賓館の正面に立つ国の天然記念物「堂形のシイノキ」は、大槻伝蔵の屋敷にあった木を移したものとの言い伝えが残る巨木で、根回り7メートルを超えるスダジイ2本が並び立ちます。伝蔵の墓は能登の羽咋市にある妙成寺に残され、今も静かに騒動の記憶を伝えています。

【トリビア】

加賀騒動は早くから芝居の題材となり、天明2年(1782年)に江戸で人形浄瑠璃『加々見山旧錦絵』として初演され、翌年には歌舞伎にも移されて大当たりを取りました。幕府をはばかって舞台は鎌倉の足利家に置き換えられ、中臈岩藤に草履で打たれて自害した尾上の無念を、召使のお初が晴らすという筋立てで、女性による敵討ちを描くことから「女忠臣蔵」とも呼ばれ、今日まで繰り返し上演されています。

📅 最終更新: 2026/9/7
加賀騒動
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です