鍵屋の辻の決闘

(かぎやのつじのけっとう)
📍 近畿三重県 伊賀市🏯 歴史

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【概要】

寛永11年(1634年)、伊賀国上野の鍵屋の辻で起きた決闘です。渡辺数馬が、義兄である荒木又右衛門の助太刀を得て、弟の仇である河合又五郎を討ち取りました。「伊賀越えの仇討ち」とも呼ばれます。わずか4人で11人の一行に挑み、味方の犠牲を1人にとどめて本懐を遂げたことで知られ、剣豪・荒木又右衛門の名声を不動のものとしました。

【歴史】

鍵屋の辻の決闘は、寛永11年11月7日(1634年12月26日)、伊賀国上野の鍵屋の辻で、渡辺数馬が義兄の荒木又右衛門の助太刀を得て弟の仇・河合又五郎を討った事件です。発端は寛永7年、岡山藩主池田忠雄の寵愛する小姓・渡辺源太夫が藩士の河合又五郎に殺されたことで、又五郎は江戸の旗本に匿われ、外様大名と旗本の対立に発展しました。

【特徴】

忠雄が死に際に仇討ちを遺言したとされ、兄の数馬は藩を離れて仇を追いました。柳生新陰流を学んだ又右衛門は大和郡山藩の剣術指南役を辞して同行し、数馬・又右衛門・森孫右衛門・岡本武右衛門の4人で、11人の又五郎一行を待ち伏せます。数馬と又五郎の一騎打ちは数時間に及んだと伝わり、河合方は又五郎ら4人が死亡、数馬方の犠牲は1人にとどまりました。当事者が本懐を遂げた例として知られています。

【見どころ】

決闘の現場は三重県伊賀市にあり、現在は「鍵屋の辻史跡公園」として整備され、三重県の史跡に指定されています。園内には「鍵屋の辻」の碑や又右衛門の遺髪を納めたとされる塚、数馬らが待ち伏せた茶屋・萬屋を模した「数馬茶屋」が建ちます。関連資料を展示していた伊賀越資料館は2019年3月で休館し、数馬茶屋も一時閉店しましたが、史跡としての公園は自由に散策できます。伊賀上野城と合わせて訪ねたい場所です。

【トリビア】

荒木又右衛門の「36人斬り」は講談などで広まった脚色で、記録上、又右衛門が斬ったのは河合甚左衛門と桜井半兵衛の2人とされます。決闘後、数馬と又右衛門は鳥取藩池田家に引き取られましたが、又右衛門は鳥取到着直後の寛永15年に急死し、その死因には諸説があります。この事件は「伊賀越の仇討ち」として浄瑠璃や歌舞伎『伊賀越道中双六』に脚色され、又右衛門を主役とする映画やドラマの原点となりました。

📅 最終更新: 2026/9/26
鍵屋の辻の決闘
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です