日本三忠臣(にほんさんちゅうしん)とは、江戸時代の儒学者・安東省菴の『三忠伝』などに記された、日本の歴史における特に忠義に厚かったとされる3人の人物、平重盛、藤原藤房、楠木正成を指します。
A.江戸時代の儒学者・安東省菴の『三忠伝』などに記された三人です。安東省菴は、平重盛、藤原藤房、楠木正成を、日本の歴史において特に忠義に厚かった人物として挙げました。三人はいずれも朝廷や天皇への忠義を示した人物として称えられています。
A.権勢を強める父の清盛と後白河法皇との間に立ち、朝廷への忠義を最後まで守ろうとしたためです。『平家物語』には重盛が清盛を涙ながらに諫める「教訓状」の場面が描かれ、頼山陽の『日本外史』はその苦しみを「忠ならんと欲すれば孝ならず」と表しました。
A.日本三忠臣のうち、戦場ではなく諫言と隠遁によって忠義を示した人物です。後醍醐天皇の側近として建武の新政の実務を支え、恩賞の配分の不公平などを天皇に繰り返し諫言したと伝わります。建武元年の十月、三十九歳のときに突然出家して姿を消し、その後の消息は分かっていません。
A.建武三年の湊川の戦いで足利尊氏の大軍に敗れ、自害しました。勝ち目がないと知りながら天皇の命に従って出陣し、弟の正季とともに最期を遂げたとされます。兵庫県神戸市の湊川神社は正成を祭神として明治五年に創建され、境内には墓所と伝わる墓碑があります。
A.平重盛は京都府京都市の小松谷、藤原藤房は同じ京都市の岩倉、楠木正成は兵庫県神戸市の湊川神社がゆかりの地です。直線距離では平重盛と藤原藤房のゆかりの地が約5km、この二か所から楠木正成のゆかりの地まではともに約70km離れています。