【概要】
平安時代末期の武将。平清盛の嫡男でありながらも、横暴な父を諫め、朝廷への忠義を尽くそうとした「忠ならんと欲すれば孝ならず」の逸話で知られる良識派の武将です。
【歴史】
平重盛は保延四年に平清盛の嫡男として生まれ、平治の乱などで武功を重ね、正二位内大臣にまで昇った平安時代末期の武将です。六波羅の小松第に住まいを構えたことから「小松殿」「小松内大臣」と呼ばれました。治承三年に四十二歳で病没し、その死からほどなく平家は源氏との争いに敗れて滅びます。江戸時代の儒学者である安東省菴は『三忠伝』で重盛を日本三忠臣の一人に挙げました。
【特徴】
平重盛が忠臣として称えられるのは、権勢を強める父の清盛と後白河法皇との間に立ち、朝廷への忠義を最後まで守ろうとした姿勢によるものです。『平家物語』には重盛が清盛を涙ながらに諫める「教訓状」の場面が描かれ、江戸時代に頼山陽が著した『日本外史』は、その板挟みの苦しみを「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」という言葉で表しました。
【見どころ】
京都府京都市にある小松谷は、平重盛の山荘が営まれたと伝わる地で、現在はその跡地に正林寺が建っています。ここに四十八間の精舎を設け、それぞれの間に灯籠を掛けて夜ごと念仏を唱えたことから「灯籠大臣」とも呼ばれました。鴨川の東に広がる六波羅の一帯には、六波羅蜜寺をはじめとする平家ゆかりの寺社が残り、重盛の面影をたどる散策路として今も親しまれています。
【トリビア】
平重盛は仏教への信仰が篤く、宋の育王山へ多額の黄金を送って自らの後世の供養を託したという逸話が『平家物語』に語られています。また重盛がもう少し長く生きていれば平家は滅びなかったという見方は古くから根強く、後世の物語や芝居で繰り返し描かれてきました。平重盛の墓と伝わる場所は各地にあり、茨城県の小松寺などにも供養の伝承が残されています。




