維新の三傑は、明治維新を成し遂げた中心人物として並び称される、薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通、長州藩の木戸孝允の三人を指す呼び名です。西郷と大久保は鹿児島城下の加治屋町で同じ町内に育った幼なじみで、木戸は萩城下の藩医の家に生まれました。三人は薩長同盟から王政復古、廃藩置県へと新しい国づくりを進めましたが、明治10年(1877年)から翌年にかけて相次いで世を去りました。
A.西郷隆盛と大久保利通は薩摩藩、木戸孝允は長州藩の出身です。西郷隆盛と大久保利通は鹿児島城下の加治屋町で同じ町内に育った幼なじみで、大久保利通は高麗町で生まれて幼いころに加治屋町へ移りました。木戸孝允は萩城下の呉服町で藩医和田昌景の子として生まれています。
A.三人は明治10年(1877年)から翌年にかけて相次いで世を去りました。西郷隆盛は明治10年(1877年)の西南戦争で生涯を閉じ、木戸孝允は同じ年に西南戦争のさなかの京都で病没しています。大久保利通は明治11年(1878年)に東京の紀尾井坂で暗殺されました。
A.三人は廃藩置県をはじめとする新しい国づくりを進めました。西郷隆盛は参議として廃藩置県の断行を支え、岩倉使節団が欧米を回る間は留守政府を預かりました。大久保利通は初代内務卿として殖産興業を推し進め、木戸孝允は五箇条の御誓文の草案に手を入れ、憲法の制定と議会の開設を早くから説きました。
A.朝鮮への使節派遣をめぐって意見が分かれたためです。西郷隆盛は明治6年(1873年)の政変で職を辞して帰郷し、のちに私学校の生徒らに推されて明治10年(1877年)の西南戦争で政府軍と戦いました。かつての盟友だった大久保利通は、西南戦争では政府の側に立っています。
A.西郷隆盛誕生地と大久保利通生い立ちの地は鹿児島県鹿児島市、木戸孝允旧宅は山口県萩市にあります。鹿児島市の二か所は甲突川沿いにあり、同じ加治屋町の中で、歩いてすぐの距離です。鹿児島市の二か所から萩市の木戸孝允旧宅までは、どちらも直線距離で約320km離れています。