大久保利通

(おおくぼとしみち)
📍 九州鹿児島県 鹿児島市🏯 歴史

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【概要】

大久保利通は、文政13年(1830年)に鹿児島城下の高麗町で生まれ、幼いころに加治屋町へ移って西郷隆盛とともに育った薩摩藩士です。島津久光のもとで藩を動かし、王政復古の実現に力を尽くしました。明治政府では版籍奉還や廃藩置県を進め、初代の内務卿として殖産興業を推し進めましたが、明治11年(1878年)に東京の紀尾井坂で暗殺されました。

【歴史】

大久保利通は下級藩士の家に生まれ、西郷隆盛らと精忠組をつくって藩政に関わろうとしました。藩の実権を握った島津久光に近づくため、久光が好む囲碁を学んだという逸話が残ります。やがて久光の信頼を得て藩の中枢に入り、公武合体から倒幕へと路線を転じました。慶応3年(1867年)には岩倉具視らと王政復古の大号令を実現させ、新しい政府を支える柱の一人となりました。

【特徴】

大久保利通は、冷静な判断と強い実行力で知られる政治家です。明治4年(1871年)には岩倉使節団の副使として欧米を巡り、近代国家の姿を目の当たりにしました。帰国後は内務省を設けて初代内務卿となり、官営工場の整備や内国勧業博覧会の開催など、殖産興業の政策を次々に打ち出します。かつての盟友西郷隆盛とは朝鮮への使節派遣をめぐって袂を分かち、西南戦争では政府の側に立ちました。

【見どころ】

鹿児島県鹿児島市にある大久保利通生い立ちの地は、甲突川沿いに立つ鹿児島市維新ふるさと館の北隣にあります。大久保が生まれたのは川向こうの高麗町で、碑はこの地で少年時代を過ごしたことを伝えています。西郷隆盛誕生地とは歩いてすぐの距離で、二人が同じ町内で学び合った様子を実感できます。誕生地を示す石柱もナポリ通り沿いに残り、あわせて訪ねると足跡がよく分かります。

【トリビア】

大久保利通は国の財政を預かりながら、私財を公のために投じることが多く、亡くなったときには多額の借金が残っていたといわれます。郷里の鹿児島では、西南戦争で西郷隆盛と敵対したことから長く人気が振るいませんでしたが、昭和54年(1979年)には甲突川に架かる高見橋のたもとに銅像が建てられました。いまでは近代日本の礎を築いた人物として、改めて評価されています。

📅 最終更新: 2026/10/25
大久保利通
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です