天下三名槍は、戦国から江戸にかけて名を馳せた三本の槍、日本号・御手杵・蜻蛉切をまとめた呼び名です。日本号は黒田節に謡われ、いまは福岡市博物館が所蔵しています。御手杵は結城家に伝わった巨大な槍でしたが1945年の東京の空襲で焼失し、茨城県結城市などで複製を見ることができます。蜻蛉切は徳川四天王の本多忠勝が愛用した槍で、個人の所蔵とされます。呼び名がいつ定まったかははっきりしません。
A.日本号は福岡市博物館が所蔵し、蜻蛉切は個人の所蔵とされて展覧会で公開されることがあります。一方、御手杵は結城秀康の子孫の松平家に伝わり、明治以降も東京に保管されていましたが、1945年の東京の空襲で蔵とともに焼失し、現物は残っていません。
A.日本号は正親町天皇から足利義昭に下賜され、織田信長、豊臣秀吉、福島正則を経て、黒田家の家臣・母里友信が酒の飲み比べで譲り受けたと伝わります。御手杵は結城晴朝が作らせたと伝わり、養子の結城秀康に受け継がれました。蜻蛉切は徳川四天王のひとり本多忠勝が愛用した槍です。
A.蜻蛉切は穂先に止まった蜻蛉が触れただけで二つに切れたという伝説、御手杵は鞘が穀物をつく手杵の形をしていたことが名の由来とされます。日本号は、槍でありながら正三位の位を授かったという伝承に名が由来するといわれます。いずれも槍の姿や逸話にちなんだ呼び名です。
A.日本号は全長が3メートルを超える大身槍で、穂には剣に巻きつく倶利伽羅龍の彫刻が施されています。御手杵は穂先だけで1メートルを優に超える長さがあったと伝わる大身槍で、穂の断面は突くことに特化した三角形でした。蜻蛉切は笹の葉のように幅の広い穂をもつ大笹穂槍に分類されます。
A.日本号は福岡県福岡市早良区にある福岡市博物館が所蔵しています。御手杵は茨城県結城市の結城蔵美館や休憩所ふじの蔵で複製を見ることができます。蜻蛉切そのものは個人の所蔵ですが、本多忠勝が生まれた愛知県岡崎市の岡崎公園にある龍城神社には、徳川家康とともに忠勝が祀られています。