江戸四宿

江戸四宿

江戸四宿は、江戸の日本橋から各街道へ旅立つときに最初に泊まる四つの宿場、品川宿・千住宿・板橋宿・内藤新宿をまとめた呼び名です。東海道の品川、日光街道と奥州街道の千住、中山道の板橋、甲州街道の内藤新宿が江戸の出入口を固め、見送りや出迎えの人々、飯盛女を置く旅籠でにぎわいました。いずれも今は東京の街中にあり、旧街道の道筋や寺社に宿場の名残をたどれます。

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品川宿
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 東京都 品川区

品川宿

(しながわしゅく)

品川宿は、東海道五十三次の最初の宿場で、東京都品川区にある北品川から南品川にかけての旧東海道沿いに開けました。日本橋から二里の距離にあり、江戸を発つ旅人と見送りの人々が別れの盃を交わした場所でもあります。目黒川を挟んで北品川宿と南品川宿に分かれ、のちに北側の歩行新宿が加わって、海辺に沿った大きな宿場町になりました。

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千住宿
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 東京都 足立区

千住宿

(せんじゅしゅく)

千住宿は、日光街道と奥州街道に共通する最初の宿場で、東京都足立区にある千住を中心に、隅田川をまたいで南千住側にも町が広がっていました。寛永二年にあたる1625年に宿場に定められ、江戸四宿のなかでも品川宿と並ぶ大きな宿場として栄えました。松尾芭蕉が奥の細道の旅に踏み出した地としても知られ、今も宿場町通りに往時の名残が点在しています。

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板橋宿
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 東京都 板橋区

板橋宿

(いたばししゅく)

板橋宿は、中山道六十九次の最初の宿場で、東京都板橋区にある旧中山道沿いに、南から平尾宿、仲宿、上宿の三つの町が連なっていました。宿の名は石神井川に架かる板橋に由来するとされ、この橋が仲宿と上宿の境になっていました。京へ向かう大名や姫君の行列が通り、本陣や脇本陣が置かれた仲宿を中心に栄え、現在も商店街に宿場町の道筋が残っています。

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内藤新宿
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 東京都 新宿区

内藤新宿

(ないとうしんじゅく)

内藤新宿は、甲州街道の最初の宿場として元禄年間に新しく開かれた宿で、東京都新宿区にある新宿一丁目から三丁目にかけての通り沿いにありました。信州高遠藩の内藤家の下屋敷の一部に町を開いたことから、内藤家のそばの新しい宿という意味でこの名が付きました。四谷大木戸から新宿追分までのおよそ一キロに旅籠が並び、新宿という地名の起こりになりました。

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❓ 江戸四宿のよくある質問

Q.江戸四宿はそれぞれどの街道の宿場ですか?

A.四つとも、江戸の日本橋から各街道へ旅立つときに最初に泊まる宿場です。品川宿は東海道五十三次、板橋宿は中山道六十九次の最初の宿場で、千住宿は日光街道と奥州街道に共通する最初の宿場、内藤新宿は甲州街道の最初の宿場でした。

Q.江戸四宿のなかで最も遅く開かれたのはどこですか?

A.内藤新宿です。品川宿は1601年、千住宿は1625年、板橋宿は江戸時代の初めに宿場となりました。内藤新宿は、高井戸宿が日本橋から四里あまり離れて不便だったため、高松喜六らが新しい宿場を願い出て1698年に許しを得ました。1718年にいったん廃止され、1772年に宿場として復活しています。

Q.江戸四宿のうち、特に大きな宿場はどこですか?

A.品川宿と千住宿が、江戸四宿のなかでも並ぶ規模の大きな宿場でした。品川宿は北品川宿と南品川宿に歩行新宿が加わった三つの町からなり、海辺に沿った宿場町になりました。千住宿は本宿に周りの町が加わり、隅田川の両岸にまたがる宿場町になりました。

Q.品川宿と内藤新宿に共通する見どころは何ですか?

A.どちらにも江戸六地蔵に数えられる銅造の地蔵菩薩坐像があります。品川宿の南にある品川寺では、江戸六地蔵の第一番とされる大きな地蔵菩薩坐像が街道を見守っています。内藤新宿では、内藤家の菩提寺である太宗寺の境内に地蔵菩薩坐像が鎮座し、閻魔大王像を納めた閻魔堂もあります。

Q.江戸四宿の宿場どうしはどれくらい離れていますか?

A.四つの宿場はすべて東京都にあります。直線距離では、板橋宿と内藤新宿が約7km、品川宿と内藤新宿、千住宿と板橋宿がそれぞれ約8km、千住宿と内藤新宿が約11km、品川宿と板橋宿が約15km、品川宿と千住宿が約16km離れています。

📍 所在地マップ

茨城県埼玉県山梨県神奈川県静岡県千葉県東京都栃木県3241品川宿千住宿板橋宿50 km地図データ: Natural Earth
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