江戸四宿は、江戸の日本橋から各街道へ旅立つときに最初に泊まる四つの宿場、品川宿・千住宿・板橋宿・内藤新宿をまとめた呼び名です。東海道の品川、日光街道と奥州街道の千住、中山道の板橋、甲州街道の内藤新宿が江戸の出入口を固め、見送りや出迎えの人々、飯盛女を置く旅籠でにぎわいました。いずれも今は東京の街中にあり、旧街道の道筋や寺社に宿場の名残をたどれます。
A.四つとも、江戸の日本橋から各街道へ旅立つときに最初に泊まる宿場です。品川宿は東海道五十三次、板橋宿は中山道六十九次の最初の宿場で、千住宿は日光街道と奥州街道に共通する最初の宿場、内藤新宿は甲州街道の最初の宿場でした。
A.内藤新宿です。品川宿は1601年、千住宿は1625年、板橋宿は江戸時代の初めに宿場となりました。内藤新宿は、高井戸宿が日本橋から四里あまり離れて不便だったため、高松喜六らが新しい宿場を願い出て1698年に許しを得ました。1718年にいったん廃止され、1772年に宿場として復活しています。
A.品川宿と千住宿が、江戸四宿のなかでも並ぶ規模の大きな宿場でした。品川宿は北品川宿と南品川宿に歩行新宿が加わった三つの町からなり、海辺に沿った宿場町になりました。千住宿は本宿に周りの町が加わり、隅田川の両岸にまたがる宿場町になりました。
A.どちらにも江戸六地蔵に数えられる銅造の地蔵菩薩坐像があります。品川宿の南にある品川寺では、江戸六地蔵の第一番とされる大きな地蔵菩薩坐像が街道を見守っています。内藤新宿では、内藤家の菩提寺である太宗寺の境内に地蔵菩薩坐像が鎮座し、閻魔大王像を納めた閻魔堂もあります。
A.四つの宿場はすべて東京都にあります。直線距離では、板橋宿と内藤新宿が約7km、品川宿と内藤新宿、千住宿と板橋宿がそれぞれ約8km、千住宿と内藤新宿が約11km、品川宿と板橋宿が約15km、品川宿と千住宿が約16km離れています。