【概要】
板橋宿は、中山道六十九次の最初の宿場で、東京都板橋区にある旧中山道沿いに、南から平尾宿、仲宿、上宿の三つの町が連なっていました。宿の名は石神井川に架かる板橋に由来するとされ、この橋が仲宿と上宿の境になっていました。京へ向かう大名や姫君の行列が通り、本陣や脇本陣が置かれた仲宿を中心に栄え、現在も商店街に宿場町の道筋が残っています。
【歴史】
板橋宿は、中山道が整えられた江戸時代の初めに最初の宿場として定められました。日本橋側から平尾宿、仲宿、上宿の順に町が並び、本陣を務めた飯田家の屋敷は仲宿に置かれていました。幕末の文久元年にあたる1861年には、将軍徳川家茂に嫁ぐ皇女和宮の一行が京から中山道を下り、江戸に入る前の最後の宿として板橋宿に泊まり、脇本陣の飯田宇兵衛家に入ったと伝えられています。
【特徴】
板橋宿のそばには加賀藩前田家の下屋敷が広がり、その敷地はおよそ二十二万坪におよびました。屋敷の中を石神井川が流れ、築山や滝を配した庭園があったとされます。中山道は加賀藩の参勤交代の道でもあり、宿場と大名屋敷が隣り合う独特の町並みをつくっていました。いまも周辺には加賀という町名が残り、加賀公園に残る築山の一部が往時の面影を伝えています。
【見どころ】
旧中山道の仲宿商店街は、今もゆるやかに曲がる街道の道筋をそのままに残し、本陣跡や脇本陣跡を示す碑が通り沿いに立っています。商店街の北の端で石神井川を渡るのが宿名の由来となった板橋で、現在の橋は鉄筋コンクリート造りながら、木の橋を思わせる欄干を備えています。川沿いには桜並木が続き、春には川面に花が映る散策路として親しまれています。
【トリビア】
板橋宿の上宿には縁切榎と呼ばれる榎があり、男女の悪縁を断つ霊木として江戸時代から信仰を集めてきました。皇女和宮の行列はこの木の前を避けて通ったという言い伝えもあります。また平尾宿の一里塚のあたりは、新選組局長の近藤勇が慶応四年にあたる1868年に処刑された地とされ、JR板橋駅の近くには近藤勇と新選組隊士の供養塔が建てられています。
