【概要】
内藤新宿は、甲州街道の最初の宿場として元禄年間に新しく開かれた宿で、東京都新宿区にある新宿一丁目から三丁目にかけての通り沿いにありました。信州高遠藩の内藤家の下屋敷の一部に町を開いたことから、内藤家のそばの新しい宿という意味でこの名が付きました。四谷大木戸から新宿追分までのおよそ一キロに旅籠が並び、新宿という地名の起こりになりました。
【歴史】
甲州街道の最初の宿場は、それまで日本橋から四里あまり離れた高井戸宿で、旅人には不便でした。そこで浅草の名主だった高松喜六らが新しい宿場の開設を幕府に願い出て、元禄十一年にあたる1698年に許しを得ました。享保三年にあたる1718年にいったん廃止されますが、地元の人々の再興運動が実り、明和九年にあたる1772年に宿場として復活しました。
【特徴】
内藤新宿の町並みは、四谷大木戸から青梅街道が分かれる新宿追分まで、新宿御苑の北側に沿って細長く続いていました。四谷大木戸には玉川上水の水番所が置かれ、江戸の町へ送られる水を見張っていました。宿の南に広がっていた内藤家の下屋敷は明治時代に皇室の庭園となり、戦後に国民公園の新宿御苑として一般に開かれ、今も都心の大きな緑地として残っています。
【見どころ】
新宿御苑の大木戸門から北へ歩くと、内藤家の菩提寺である太宗寺があり、江戸六地蔵の一つに数えられる銅造の地蔵菩薩坐像が境内に鎮座しています。閻魔大王像を納めた閻魔堂もあり、宿場の人々の信仰の厚さを今に伝えます。近くの成覚寺には、宿場で働いた飯盛女たちを弔う子供合埋碑が残り、華やかな宿場の陰にあった暮らしを静かに語りかけてきます。
【トリビア】
内藤家の下屋敷では唐辛子が育てられ、やがて周辺の畑一面が赤く染まるほど栽培が広がったといわれます。この唐辛子は内藤とうがらしと呼ばれ、江戸の蕎麦の薬味として親しまれました。近年は地元の人々が復活に取り組み、新宿の伝統野菜として再び栽培されています。新宿という地名そのものが、この内藤新宿の新宿に由来しているのも面白いところです。
