【概要】
僧正遍昭は、弘仁7年(816年)に桓武天皇の孫として生まれた平安時代前期の歌人であり僧侶です。俗名を良岑宗貞といい、仁明天皇に仕えて蔵人頭まで進みましたが、天皇の崩御を機に出家しました。のちに僧正の位にのぼり、花山僧正とも呼ばれます。京都府京都市山科区にある元慶寺は、遍昭が開いた寺として知られています。
【歴史】
僧正遍昭は桓武天皇の皇子である良岑安世の子に生まれ、若くして仁明天皇の厚い信任を得ました。嘉祥3年(850年)に天皇が亡くなると、悲しみのあまり出家し、比叡山で天台の教えを学んだとされます。元慶元年(877年)には花山に元慶寺を開き、仁和元年(885年)には僧正に任じられました。寛平2年(890年)に亡くなるまで、歌人としても宮廷との縁を保ち続けました。
【特徴】
紀貫之は遍昭の歌を「歌のさまは得たれども、まこと少なし」と評し、絵に描いた女性を見てむなしく心を動かすようなものだとたとえました。整った姿の中に機知と軽やかさがあるのが持ち味です。百人一首の「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」は出家前の作で、宮中で舞う五節の舞姫を天女に見立て、もう少しとどめておきたいと詠んでいます。
【見どころ】
京都府京都市山科区にある元慶寺は、華頂山と号する天台宗の寺で、花山寺とも呼ばれます。寺の名は創建された年の元慶という年号に由来し、年号としては「がんぎょう」と読むのが通例ですが、寺では「がんけい」と読んでいます。花山天皇が出家した寺として西国三十三所の番外札所に数えられ、住宅地の中にたたずむ小さな境内には静かな落ち着きがあります。
【トリビア】
寛和2年(986年)、花山天皇は藤原兼家らのはかりごとによって夜半にひそかに内裏を抜け出し、元慶寺で出家しました。この出来事は寛和の変と呼ばれ、兼家の一族が権力を握るきっかけになりました。また遍昭の子の素性法師も歌人として名高く、百人一首には「今来むと」の歌が選ばれています。父子の歌を並べて味わえるのも、百人一首ならではの楽しみです。
