【概要】
大友黒主は、平安時代前期の歌人で、大伴黒主とも書かれます。近江国滋賀郡を本拠とした大友村主の一族の出身と伝わり、六歌仙の中では最も後の時代まで活動したとされます。百人一首には歌が選ばれていませんが、『古今和歌集』などに歌が残ります。滋賀県大津市にある黒主神社は、黒主を祀る小さな神社として地元に伝わっています。
【歴史】
大友黒主の生没年は伝わっていませんが、醍醐天皇の大嘗会で近江国の歌を詠んだことが『古今和歌集』に記されており、六歌仙の中では長く活動した人物とみられます。滋賀郡の郡司を務め、三井寺の神祠の別当職にも就いたと伝わり、晩年は志賀の山中に隠れ住んだともいわれます。没後に土地の人々が小さな祠を建てて祀ったのが、黒主神社の始まりとされます。
【特徴】
紀貫之は黒主の歌を「そのさまいやし」と評し、薪を背負った山人が花の陰で休んでいるようだとたとえました。素朴で洗練に欠けるという見立てですが、裏を返せば飾らない味わいがあるともいえます。『古今和歌集』には「春雨のふるは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ」が収められ、降る春雨を、桜との別れを惜しむ人々の涙に見立てています。
【見どころ】
滋賀県大津市にある黒主神社は、志賀の住宅地にひっそりと鎮まる小さな神社です。周辺は天智天皇の近江大津宮が置かれた土地で、近江神宮や南滋賀町廃寺跡、山中の崇福寺跡など古代の史跡が点在しています。黒主が隠れ住んだと伝わる比叡山へ続く山並みを背に、琵琶湖の西岸に広がる歴史の舞台を、ゆかりの社とあわせてたどることができます。
【トリビア】
黒主は後世の芸能で悪役として描かれることが多く、謡曲の『草紙洗小町』では小町の歌を古歌の盗作だと言いがかりをつけ、歌舞伎の『積恋雪関扉』では天下をねらう大伴黒主として登場します。一方で鴨長明の『無名抄』には、黒主が神となり志賀郡に明神として祀られたという話が見え、土地の人々が祀った黒主神社の由来とも重なります。
