【概要】
大阪大学は、1931年に医学部と理学部の二学部で創設された六番目の帝国大学、大阪帝国大学を前身とします。地元大阪の熱意に支えられて実現し、初代総長には物理学者の長岡半太郎が迎えられました。江戸時代に緒方洪庵が開いた蘭学塾の適塾を源流の一つとしており、大阪市中央区北浜に残る適塾の建物は、国の史跡・重要文化財として公開されています。
【歴史】
大阪大学は1931年(昭和6年)、大阪府立の医科大学を母体とする医学部と、新しく設けた理学部による大阪帝国大学として発足しました。東京・京都・東北・九州・北海道に続く六番目の帝国大学です。1933年には大阪工業大学を合わせて工学部が加わり、戦後の1947年に大阪大学と改称しています。医学の系譜は江戸時代の大坂で緒方洪庵が開いた適塾にさかのぼるとされ、大学はその精神を受け継ぐことを掲げています。
【特徴】
初代総長の長岡半太郎は、原子の土星型模型を唱えたことで知られる物理学者です。創設まもない理学部には若い研究者が集まり、講師として招かれた湯川秀樹は、大阪帝国大学で中間子の理論を考え出しました。この理論はのちに日本人初のノーベル賞につながっています。戦後は豊中や吹田にキャンパスを広げ、2007年には大阪外国語大学と統合して外国語学部も加わりました。
【見どころ】
大阪府大阪市中央区の北浜に残る適塾は、緒方洪庵が1845年に塾を移した町家で、江戸時代の商家の姿をとどめる貴重な建物です。国の史跡と重要文化財に指定され、いまは大阪大学が管理して一般に公開しています。2階には塾生が寝起きした大部屋があり、柱には若者たちが付けた刀傷が残ると伝わります。高層ビルが並ぶオフィス街の中で、木造の建物が静かに時を刻んでいます。
【トリビア】
適塾には全国から若者が集まり、福沢諭吉や大村益次郎、橋本左内、長与専斎ら、幕末から明治の日本を動かす人材が学びました。2階の「ヅーフ部屋」には貴重な蘭和辞書が置かれ、塾生たちが夜も絶えず入れ替わりながら書き写したと、福沢はのちに回想しています。身分を問わず実力で学び合ったこの塾の気風は、大阪大学が受け継ぐべき精神として、いまも大切にされています。
