岩村城

(いわむらじょう)
📍 岐阜県 恵那市📦 その他📦

【概要】

岐阜県恵那市岩村町にあった城。別名:霧ヶ城。源頼朝の重臣加藤景廉が1185年(文治元年)によって築かれたと伝えられている。本丸は海抜721メートルあり、日本の山城の中で最も高地にある。日本三大山城の一つに数えられている。日本100名城(38番)の一つ。この城郭は、日本の歴史において重要な役割を果たしてきました。その堅固な守りと戦略的な立地は、当時の武将たちの知恵と力を今の世に伝えています。訪れる人々は、石垣や堀、復元された建物を通じて、かつての時代の息吹を肌で感じることができるでしょう。

【歴史】

岩村城は文治元年(1185年)、源頼朝の重臣加藤景廉がこの地の地頭に任じられたことに始まり、実際の築城は子の遠山景朝の代とされています。以後、鎌倉から室町、戦国、江戸と七百年近くにわたって城が営まれ続けた例は全国でも珍しいものです。江戸時代には松平家乗が入って岩村藩が成立し、丹羽氏を経て大給松平氏が幕末まで治めましたが、明治6年(1873年)の廃城により建物はすべて取り払われました。

【特徴】

岩村城の本丸は標高約七百十七メートルに位置し、日本の山城のなかで最も高い場所にある城として知られています。奈良の高取城、岡山の備中松山城とともに日本三大山城に数えられ、深い霧が谷から立ちのぼって城を隠す姿から霧ヶ城の別名を持ちます。急峻な地形に対応するため石垣は段を重ねる形で積み上げられ、麓の藩主邸跡から本丸まではおよそ八百メートルの険しい坂道が続いています。

【見どころ】

最大の見どころは本丸の直下にそびえる六段壁で、崩落を防ぐために石垣を六段に重ね、各段に犬走りを設けた独特の姿は圧巻です。曲輪をつなぐ石段や埋門、霧ヶ井といった遺構もよく残り、山上まで歩けば往時の縄張りをたどることができます。麓の藩主邸跡には太鼓櫓と表御門が復元され、隣接する歴史資料館で岩村城七百年の変遷を学んでから登ると、石垣の見え方が大きく変わってきます。

【トリビア】

戦国期のこの城には、女城主として知られるおつやの方がいました。城主遠山景任の没後、養子に迎えた織田信長の子がまだ幼かったため、信長の叔母にあたるおつやの方が城を預かったと伝わります。武田方の秋山虎繁に攻められて開城し婚姻を結びましたが、のちに信長の怒りを買って落命したとされます。岐阜県恵那市にある城下は今も女城主の里と呼ばれ、酒蔵や町並みが往時の面影を伝えています。

📅 最終更新: 2026/9/7
岩村城
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です

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