【概要】
奈良県高市郡高取町高取にあった城。1332年(元弘2年)、越智邦澄が築城したと伝えられている。江戸時代は高取藩の藩庁であった。日本三大山城の一つに数えられ、日本100名城(61番)の一つ。日本三大山城(美濃岩村城、備中松山城、大和高取城)の一つに数えられる。『巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城』と景観をうたわれた。土佐の城は高取城のこと。 。この城郭は、日本の歴史において重要な役割を果たしてきました。その堅固な守りと戦略的な立地は、当時の武将たちの知恵と力を今の世に伝えています。訪れる人々は、石垣や堀、復元された建物を通じて、かつての時代の息吹を肌で感じることができるでしょう。
【歴史】
高取城は元弘2年(1332年)、南朝方の豪族であった越智邦澄が貝吹山城の支城として築いたのが始まりと伝わります。戦国期を経て天正13年(1585年)には豊臣秀長の家臣である本多利久が城主となり、山上に天守を構える近世城郭へと大改修されました。寛永17年(1640年)には植村家政が入封して高取藩の藩庁が置かれ、以後は植村家が14代228年にわたり幕末まで藩主を務めました。
【特徴】
奈良県高取町にある標高約583メートルの高取山を丸ごと城郭化した、日本屈指の規模を誇る山城です。麓からの比高は約390メートルで山城としては日本一とされ、城内の周囲は約30キロメートル、石垣に囲まれた郭内だけでも約20キロメートルに及んだと推定されています。三重の大天守と三重の小天守が並び立ち、多数の櫓が連なる姿は山上の城としては破格の壮麗さでした。
【見どころ】
最大の見どころは、明治の廃城後も人の手による大きな破壊を受けないまま山頂一帯に残された総石垣の遺構です。本丸や二の丸には高さ約10メートルに達する石垣がそびえ、深い樹林に覆われたその佇まいは「天空の城」とも称されています。城下の土佐街道から歩けば片道およそ1時間半、道中の二の門跡付近には猿石と呼ばれる飛鳥時代の石造物が置かれ、独特の風情を添えています。
【トリビア】
城下には「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」という俚謡が伝わります。辰巳の方角にそびえる城の白壁が雪と見まがうという意味で、ここでいう土佐の城とは高取城そのものを指します。城下が土佐と呼ばれるのは、飛鳥時代に土佐国から都の造営に召された人々が帰郷できずに住み着いたことに由来すると伝えられます。昭和28年には国の史跡に指定され、日本100名城にも選ばれています。




